いま、仕事机の上に少々場違いなサイズのD-150が並んで置かれている。机上にヒノキのサイコロを3つ1組・逆三角形のポジションで2台分置き、それぞれの上面に少々大きい出所・材質不明のインシュレータを置いた。そんなボトムセッティングの上にD-150をセッティングしている。
いまのところ、動作はすこぶる快調だ。日本の企業が造ったスピーカーは、背面処理に手を抜いている製品が多く、出音も僕が期待しているほどのものではなかったことが多々あった。だから日本のファクトリー製のスピーカーには、正直なところあまり期待していたなかった。
分析的な鳴らし方ではなく、総合的な鳴らし方。それはビートルズがバンドアンサンブルに一日以上の長があったことを再認識させてくれる。そんなビートルズの鳴らし方が僕の感想の基層にある。ただ、ちょっと、メインヴォーカルが引っ込み気味になるが、耳エージングを経ればそれも問題にはならないと言える。
こうなると、このD-150の前に販売されていたD-200とD-200IIの存在がやけに気になってくる。D-150の原型であり、高品質パーツを使っていると聞いた。かれらはどんなビートルズを鳴らしてくれるのだろう。デザインでもD-150よりも鳴りっぷりがよさげに見える。ただし、デザインの好みで言わせてもらえば、D-150の意匠の方が僕の好みだ。
そうか。この音の向こうには、あの時代にいたThe Beatlesのイマージを想起するのも難くない。不勉強でいると音楽体験が質量ともに自分の世界からこぼれ落ちていくのだな。
――そんな想像のきっかけを与えてくれる。もしかしたら、数の上での評価なのではなく、良質なスピーカーとしての評価の方が適切だと言えるのかもしれない。
〔了(仮)〕