2022/27/02 #03 ——ウクライナ、キエフ

追々記 26/02/2022

20:45、skyにおいて、ドニプロからのライヴ・リポート。

ドニプロ市民たちが、市中央部に集結する映像。
一部の人々は公園らしき場所に集まり、手分けをして火炎瓶を制作している。
また、一部の人々は「科学博物館」に集まり、こちらも手分けをして手製のミサイルを作成するのだと言う。
そして同時に、それが行われている建造物には市民がウクライナ軍の兵士とレジスタンスのために、
食料や寝袋などの物資を次々に寄付している。
市民自らの生活も苦しいだろうに。
最後に志願兵として応募するために列をなしている若い人々の姿が映し出された。
中継の人間は、その中継前に採集したのであろうインタヴューの対象となった人間の言葉を紹介して締めた。

「10代の娘がふたりいます。母親として心配ですが、いま私にはウクライナの独立を守るために、使命としてやるべき最高で特別のことがあるです」

……ウクライナ人が1991年に手に入れ、途中で失われたが、2017年に再び手にしたものは、そこまでに重いのか。
ついに私に訪れた自分の所属する民族が独立と国家(国土)は、それほどまでに彼の地のウクライナ人の強固なアイデンティティなのか。
ならば、風が吹いていなくともどこかへ飛んで行ってしまうことの多い日本と日本の国土、政治は、なんと解釈すればよいのだろうか。
私的には、明治維新時に会津をはじめとした東北の諸地域で東北人(特に官軍側の人間)は薩長土肥の人間にぞんざいに扱われた。
そして、東北各地においてその地の歴史的由来や文化、言語を全く無視して、薩長の「人でなしたち」は時勢に対処した。
その結果、東北はどうなったか。
ウクライナ」という国家名の言語的意味の根源は、「辺境」・「田舎」・「辺鄙」といった類の意味だ。
ウクライナは中央文化から離れている土地」――この解釈は「東北」にもあてはまる。
おそらく、現代の東北の若い世代の人間には何が何のことやらさっぱり分からないほど風化しつつある歴史となったが、まだまだ、そういった「薩長土肥による被害者の会」的な心情に根ざし生きている東北人は多い。
僕もその中の一人だ。
笑わば笑いなよ。
そのかわり、なんならば、会津地方を廻りフィールドワークされると良い。

だから、僕の内には、日本人としてのアイデンティの希薄さはジョークのスタッフの基盤となる。
個人的にではなく集団的な規模では死ぬまで分かり合いたくもない西方の人間たち(鹿児島・山口・佐賀・大阪)のように、ロシア軍の兵士や士官たちには、ウクライナ軍人とレジスタンスたちをぞんざいに扱ってほしくないのだ。