ああ、鳥として生まれていたらよかった。
自分が生まれた意味を考えることなく、エサを探して羽根を動かして空を飛び続けた末に地に降りて休もうとしたら、アマゾントラックに跳ね飛ばされて排ガスまみれとなり路側帯に屍を横たえる、それに何の問いを抱かなない鳥だったらよかった。
地球上に生きる多数の人間のように何の意味もなく死んでも、何の思いも残すことなく済んだのにな。

昨日わかった。どうして自分が尽きない悩みに支配されているのか、その理由が見えた。
今日から、他者は切り捨てる。
具体的には、目の前に立つ杖を突いた高齢者には席を譲らない。どの電車でも乗降口に前カバンをしてスマートフォンを操作しながら立ち、そうして他乗客の乗り降りを邪魔する。乗降すべき駅に誰かが下車できなくても、それはその人のせい。同じように、向かい合った人の眼、口を見ないようにコミュニケーションをはかる。西日暮里で千代田線を待つときはなるべく人の流れを阻害するように立ち、電車を待つ。
何の"利益"ももたらさないなら、誰かにやさしくする必要など毛頭ない。何かを譲ったら、「チッ」と舌打ちされるのが関の山。
やっと生き方がわかってきた。「何言ってんの? おまえ、死ねば?」と、この世界のありとあらゆる場面で思うことで、この世界に生きることができる。日本で生きるための真理が見えた。目の前の人の人間性を否定すればするほど、生きやすくなる。なるほど。そうやって、僕はもう少し生きてみようと思った。もっと人に厳しくしよう。

しもねたとユダヤ――ギルバート・ゴットフリードのネタに感謝する

ギルバート・ゴットフリートが鬼籍に入った。
67歳。

彼は、最高にえげつないジョークを武器として成り上がった、ブルックリン出身のコメディアンである。
それらのジョークの中でも白眉なのは、下ネタに関するネタである。
Tik-Tok内でも、よく投稿者にパクられていた。

ユダヤ系の人間のみに許されたジョークを縦横無尽に口にした。
それにより、自身の個性に基づく声色で世界を魅了した。
その前提には、自身の個性をジョークで表現し切っていた、ギルバート・ゴットフリード自身の知性の確かさがある。

彼のジョークを耳にするにあたり、
道徳的タブーを語ることを許された特別な人間なのだと、僕は思わされた。
その中には、ほとんどの人間たちからブーイングを喰らうような、いわゆる「ユダヤ系の人間のみに許された」ジョークも含まれる。

願わくば、ボブ・サゲットとともに、向こうからフィルシィジョークで笑わせてほしい。
「安らかに眠れ」と単純に口にできないような、ギルバートの死。
これからの時代において、あなたのいかれたジョークはさらに求められたはずだ。

ボブ・サゲットとギルバート・ゴッドフリードの現世からの旅立ち。
現代社会」おける堪えがたい損失だと、僕は考える。

2022/02/27 #02 ——ウクライナ、キエフ

追記 2022/02/26

20:42、ロシアのラブロフ外相の記者会見とイングランド国会でのウクライナ担当の議員の答弁の対比がね……。
以下、意訳の上、抜粋。
――ラブロフ「……ウクライナウクライナのために公用語ウクライナ語に統一するのは、許せん」
「だから、ロシアはウクライナにおける(ロシア系の人間のために)ロシア語の使用を許可し、多様性を守ったのだ」

――英議員「我々が紛争に実際に加担しても、ロシア軍にキエフを占領される可能性は排除できなかった」
「よって、ウクライナを実力行使で援助することをしなかった」

いやいや、政治と経済は人命に勝ると再確認させていただきました。
そして、人間の生命の数え方を再認識させてもいただきました。
つまり、人間の生命の数的単位は社会的役割と地位で決定されるということだ。

「政治家と資本家の生命の数の数え方は一個人単位とする」――固有名詞をまとう死
「それ以外の一般市民と軍隊の下士官と一般兵士の生命の数え方は集団単位とする」——不特定の、塊の一部としての死

もっと単純に、空想や妄想の類の陰謀論として楽に考えてみる。
ユダヤウクライナ人であるゼレンスキーをダシにして、ウクライナ以東と以西の両商圏を現状の政治的不安定さから確実なものにしたかった世界中に散らばるユダヤ系「商人」たちによる「遠謀」なのかもしれない。
それならば、大統領選挙当選後に第二言語であるウクライナ語を猛特訓し(第一言語はロシア語)、今日まで「ウクライナのためだけの大統領」として振舞い続けてきた、インテリであり映像制作に精通した演技派コメディアン「ヴラッド・ゼレンスキー」の面目躍如である。
例えば、開戦初期のスーツ姿から、軍用のTシャツ、そして軍用セーターへ着替えて国民と国際社会へメッセージを送る彼の姿は、まさに彼の本質の一端を示している。
身に付けている衣服という記号とその変化だけを取り出しても、置かれている状況を説明するのに十分だ。
それだけでも、高い説得力と訴求力を備えている。
――「援けを乞うている我々ウクライナを助ける行動をとらなかった西ヨーロッパの人間に失望した」
まさに陰謀論として、現時点では成立してしまうような物語にも読めてしまうが、果たして。

世界史の教科書を通して学んだことは繰り返すのだな。
古のモンゴル系(フン族)民族を現代の中華民族に置き換えてみれば、実力行使が政治・地政・経済的な側面から「精神的」かつ「意識的」にロシアを支えているのが彼らだ。
しかも、ウクライナNATO加盟が承認されれば、東ヨーロッパ地域における彼らの「一路一帯」は挫折、大きな政策転換をせざるを得ない。
したがって次は、その同じ構造上でそれぞれの役割分担を入れ替え、第二幕を始めようとするのではないか。
……それは単に僕の妄想上で展開できる程度の、穿った見方(ほぼ陰謀論)に過ぎないのだけれど。
明らかな事柄のひとつは、従来の地政学的力学は変更されつつあり、地球に住まう人々がCOVID-19以前の世界や生活に戻ることの不可能性がまた再び顕になったということだ。

2022/27/02 #03 ——ウクライナ、キエフ

追々記 26/02/2022

20:45、skyにおいて、ドニプロからのライヴ・リポート。

ドニプロ市民たちが、市中央部に集結する映像。
一部の人々は公園らしき場所に集まり、手分けをして火炎瓶を制作している。
また、一部の人々は「科学博物館」に集まり、こちらも手分けをして手製のミサイルを作成するのだと言う。
そして同時に、それが行われている建造物には市民がウクライナ軍の兵士とレジスタンスのために、
食料や寝袋などの物資を次々に寄付している。
市民自らの生活も苦しいだろうに。
最後に志願兵として応募するために列をなしている若い人々の姿が映し出された。
中継の人間は、その中継前に採集したのであろうインタヴューの対象となった人間の言葉を紹介して締めた。

「10代の娘がふたりいます。母親として心配ですが、いま私にはウクライナの独立を守るために、使命としてやるべき最高で特別のことがあるです」

……ウクライナ人が1991年に手に入れ、途中で失われたが、2017年に再び手にしたものは、そこまでに重いのか。
ついに私に訪れた自分の所属する民族が独立と国家(国土)は、それほどまでに彼の地のウクライナ人の強固なアイデンティティなのか。
ならば、風が吹いていなくともどこかへ飛んで行ってしまうことの多い日本と日本の国土、政治は、なんと解釈すればよいのだろうか。
私的には、明治維新時に会津をはじめとした東北の諸地域で東北人(特に官軍側の人間)は薩長土肥の人間にぞんざいに扱われた。
そして、東北各地においてその地の歴史的由来や文化、言語を全く無視して、薩長の「人でなしたち」は時勢に対処した。
その結果、東北はどうなったか。
ウクライナ」という国家名の言語的意味の根源は、「辺境」・「田舎」・「辺鄙」といった類の意味だ。
ウクライナは中央文化から離れている土地」――この解釈は「東北」にもあてはまる。
おそらく、現代の東北の若い世代の人間には何が何のことやらさっぱり分からないほど風化しつつある歴史となったが、まだまだ、そういった「薩長土肥による被害者の会」的な心情に根ざし生きている東北人は多い。
僕もその中の一人だ。
笑わば笑いなよ。
そのかわり、なんならば、会津地方を廻りフィールドワークされると良い。

だから、僕の内には、日本人としてのアイデンティの希薄さはジョークのスタッフの基盤となる。
個人的にではなく集団的な規模では死ぬまで分かり合いたくもない西方の人間たち(鹿児島・山口・佐賀・大阪)のように、ロシア軍の兵士や士官たちには、ウクライナ軍人とレジスタンスたちをぞんざいに扱ってほしくないのだ。

2022/02/25 #01 ——ウクライナ、キエフ

昨日のことの発端から、ずっと生中継の画面を見ている。
いま、ここに少しずつ書いて、不特定多数の人間がアクセス可能なこのときの思考の記録を残しておきたい。

18:29、ウクライナの首都キエフからの生中継の画面の中で、
UKのメディアであるskyのアンカーが、同胞の議員とのやり取りをしていた。
突然に中断して、議員の某氏へアンカーの某氏が叫んだ。
画面は下院議員を映し出しているが、音声はキエフの街中に喧しく鳴り響く非常を知らせるサイレンの音で占められていた。

――「これがプーチンによる戦争犯罪じゃないなら、いったい何なのだ!」

それを民主主義に対する挑戦だと捉えているかのような彼にとっては、どうしても許せない表情だった。
どうにも許しがたい感情。
それを僕は理解することができない。
なぜなら、民主主義は独立した意見をもつ個人を社会的につないで物事を決定するために発明されたヨーロッパの発明品だ。
だが、僕の中の「民主主義」は、集団的合意のあいまいさを是とする社会内における彼の地から無理やり受け容れた身振りにすぎないからだ。
つまり、僕は「みんな」との合意を通してのみ個人として実在可能になる存在なのだ。
向こうの民主主義とこちらの「民主主義」がもつイデオロギーのヴェクトルの向きは逆方向であり、そうしたプロセスで実現されるものだとも言える。

では、それは生命を賭けて護るべきものだろうか?
僕の中の答えは、「そう」。
だって、この段階を乗り越えないと自分の血肉にはならないからだ。
いま、東ヨーロッパからウクライナとロシアの間に起きている事象を伝えている西ヨーロッパの人間にとって、そのことは自明の理なのだろう。

それを積極的に肯定も否定もするものでもない心境にある僕は、
どうも覚悟が足りないのか、あるいは、人間として単純に老化が進行してしまったのだろう。
ほとほと気づきが遅すぎる人間が僕である。

画面は通りを横切る兵士たちの小集団を映し出している。
兵士たちのほぼ半数は、女性だ。
セクハラではなく、人間としてのウクライナ人(フン族の大移動を契機にいったん散り散りになった民族を指して)の、手許から消え失せようとしている独立と民主主義に対する心のあり方なのだなと、ただただ思う。
そして、彼らゲリラと呼ばれる兵士たちの幾人かは、この世界から退場している。
言い換えれば僕は、この画面上に映し出されている誰かの最期を見ているのだろう。

今日のニュースに「カナダ研究者が「走馬灯」のような脳波の動きを確認」という情報が流れた。

〈脳への血流が止まるまでの5分間から脳の活動が完全に停止するまでの5分間は、脳内に蓄積された記憶の中からポジティヴな内容を持つ記憶を高速でサーチして、「死」に対する精神的苦痛を軽減しているとみられる〉

――兵士が死ぬとき、そういった時間を担保できたその兵士は、幸福者だろう。
たいがいは、頸部、頭部、胸部などの即死に至る確率が高い身体上の箇所を、狙撃兵は狙うのだから。
僕の想いの中では、その死に方と意識の消滅の仕方の双方を肯定する。

日本人と銃との間には銃を入手できる道はその幅が狭く、ほとんど欲するモノに手を伸ばしても届かない。
現今の社会状況下において、心身が疲弊しきってしまったと思しき結構な数にのぼるだろう日本人は、銃を用いて頭か心臓を打ち抜いて、可能な限り痛まずに、苦しまずに、短時間のうちに己の生命のくそったれな営みに終止符をうちたいのだと。
それが、この瞬間の社会において存外に巨大なコンセンサスとなりつつあるのではと感じる。
でも、その方法で退場できるのは、相当に運のよい人間に限定される。
ならば、次に時間経過的に「苦痛が一瞬で消える「はず」の疾走する電車に飛び込む方法」を採用し、これら事象の発生は増加し続けることになる。
もし、この増加傾向を減少傾向へと乗り越えようとするのならば、自殺用短銃(弾丸は基本2発つき)の無制限輸入、あるいは、その生産と販売(配給)の実施となる。
他者の行動について理解するのを拒否したい「2割」の日本人——こういった死に方を選んだ人間に対して「迷惑」だと思い、そのまま感情にまかせて口にしてしまう類の人間——からすれば違和感以外の何ものでもない話だが。
継続的に起きている「人身事故」は、銃により苦しみを最短化する自死の方法を禁じられていることから、その代替方法を選択する人間が多く存在していることを可視化しているに過ぎない。
言い換えれば、その代替方法を能動的に選択することは、希望や展望、肯定すべきモノやコト、存在の消失に支配されてしまった日本人(日本社会に参加している人)の数を示しているのだ
そう考えると、ウクライナの地で死に行く名も知られないだろう兵士と現在の社会で死を選択するかもしれない日本人は、さほど離れた距離に位置してはいないと言える。

追記

20:42、ロシアのラブロフ外相の記者会見とイングランド国会でのウクライナ担当の議員の答弁の対比がね……。
以下、意訳の上、抜粋。
――ラブロフ「……ウクライナウクライナのために公用語ウクライナ語に統一するのは、許せん」
「だから、ロシアはウクライナにおける(ロシア系の人間のために)ロシア語の使用を許可し、多様性を守ったのだ」

――英議員「我々が紛争に実際に加担しても、ロシア軍にキエフを占領される可能性は排除できなかった」
「よって、ウクライナを実力行使で援助することをしなかった」

いやいや、政治と経済は人命に勝ると再確認させていただきました。
そして、人間の生命の数え方を再認識させてもいただきました。
つまり、人間の生命の数的単位は社会的役割と地位で決定されるということだ。

「政治家と資本家の生命の数の数え方は一個人単位とする」――固有名詞をまとう死
「それ以外の一般市民と軍隊の下士官と一般兵士の生命の数え方は集団単位とする」——不特定の、塊の一部としての死

もっと単純に、空想や妄想の類の陰謀論として楽に考えてみる。
ユダヤウクライナ人であるゼレンスキーをダシにして、ウクライナ以東と以西の両商圏を現状の政治的不安定さから確実なものにしたかった世界中に散らばるユダヤ系「商人」たちによる「遠謀」なのかもしれない。
それならば、大統領選挙当選後に第二言語であるウクライナ語を猛特訓し(第一言語はロシア語)、今日まで「ウクライナのためだけの大統領」として振舞い続けてきた、インテリであり映像制作に精通した演技派コメディアン「ヴラッド・ゼレンスキー」の面目躍如である。
例えば、スーツ姿から軍用のTシャツ、そして軍用セーターへ着替えて国民と国際社会へメッセージを送る彼の姿は、まさに彼の本質の一端を示している。
身に付けている衣服という記号とその変化だけを取り出しても、置かれている状況を説明するのに十分だ。
それだけでも、高い説得力と訴求力を備えている。
――「援けを乞うている我々ウクライナを助ける行動をとらなかった西ヨーロッパの人間に失望した」
まさに陰謀論として、現時点では成立してしまうような物語にも読めてしまうが、果たして。

世界史の教科書を通して学んだことは繰り返すのだな。
古のモンゴル系(フン族)民族を現代の中華民族に置き換えてみれば、実力行使が政治・地政・経済的な側面から「精神的」かつ「意識的」にロシアを支えているのが彼らだ。
しかも、ウクライナNATO加盟が承認されれば、東ヨーロッパ地域における彼らの「一路一帯」は挫折、大きな政策転換をせざるを得ない。
したがって次は、その同じ構造上でそれぞれの役割分担を入れ替え、第二幕を始めようとするのではないか。
……それは単に僕の妄想上で展開できる程度の、穿った見方(ほぼ陰謀論)に過ぎないのだけれど。
明らかな事柄のひとつは、従来の地政学的力学は変更されつつあり、地球に住まう人々がCOVID-19以前の世界や生活に戻ることの不可能性がまた再び顕になったということだ。

2022/02/25 : firstdraft ——ウクライナ、キエフ

昨日のことの発端から、ずっと生中継の画面を見ている。
いま、ここに少しずつ書いて、不特定多数の人間がアクセス可能なこのときの思考の記録を残しておきたい。

18:29、ウクライナの首都キエフからの生中継の画面の中で、
UKのメディアであるskyのアンカーが、同胞の議員とのやり取りをしていた。
突然に中断して、議員の某氏へアンカーの某氏が叫んだ。
画面は下院議員を映し出しているが、音声はキエフの街中に喧しく鳴り響く非常を知らせるサイレンの音で占められていた。

――「これがプーチンによる戦争犯罪じゃないなら、いったい何なのだ!」

それを民主主義に対する挑戦だと捉えているかのような彼にとっては、どうしても許せない表情だった。
どうにも許しがたい感情。
それを僕は理解することができない。
なぜなら、民主主義は独立した意見をもつ個人を社会的につないで物事を決定するために発明されたヨーロッパの発明品だ。
だが、僕の中の「民主主義」は、集団的合意のあいまいさを是とする社会内における彼の地から無理やり受け容れた身振りにすぎないからだ。
つまり、僕は「みんな」との合意を通してのみ個人として実在可能になる存在なのだ。
向こうの民主主義とこちらの「民主主義」がもつイデオロギーのヴェクトルの向きは逆方向であり、そうしたプロセスで実現されるものだとも言える。

では、それは生命を賭けて護るべきものだろうか?
僕の中の答えは、「そう」。
だって、この段階を乗り越えないと自分の血肉にはならないからだ。
いま、東ヨーロッパからウクライナとロシアの間に起きている事象を伝えている西ヨーロッパの人間にとって、そのことは自明の理なのだろう。

それを積極的に肯定も否定もするものでもない心境にある僕は、
どうも覚悟が足りないのか、あるいは、人間として単純に老化が進行してしまったのだろう。
ほとほと気づきが遅すぎる人間が僕である。

画面は通りを横切る兵士たちの小集団を映し出している。
兵士たちのほぼ半数は、女性だ。
セクハラではなく、人間としてのウクライナ人(フン族の大移動を契機にいったん散り散りになった民族を指して)の、手許から消え失せようとしている独立と民主主義に対する心のあり方なのだなと、ただただ思う。
そして、彼らゲリラと呼ばれる兵士たちの幾人かは、この世界から退場している。
言い換えれば僕は、この画面上に映し出されている誰かの最期を見ているのだろう。

今日のニュースに「カナダ研究者が「走馬灯」のような脳波の動きを確認」という情報が流れた。

〈脳への血流が止まるまでの5分間から脳の活動が完全に停止するまでの5分間は、脳内に蓄積された記憶の中からポジティヴな内容を持つ記憶を高速でサーチして、「死」に対する精神的苦痛を軽減しているとみられる〉

――兵士が死ぬとき、そういった時間を担保できたその兵士は、幸福者だろう。
たいがいは、頸部、頭部、胸部などの即死に至る確率が高い身体上の箇所を、狙撃兵は狙うのだから。
僕の想いの中では、その死に方と意識の消滅の仕方の双方を肯定する。

日本人と銃との間には銃を入手できる道はその幅が狭く、ほとんど欲するモノに手を伸ばしても届かない。
現今の社会状況下において、心身が疲弊しきってしまったと思しき結構な数にのぼるだろう日本人は、銃を用いて頭か心臓を打ち抜いて、可能な限り痛まずに、苦しまずに、短時間のうちに己の生命のくそったれな営みに終止符をうちたいのだと。
それが、この瞬間の社会において存外に巨大なコンセンサスとなりつつあるのではと感じる。
でも、その方法で退場できるのは、相当に運のよい人間に限定される。
ならば、次に時間経過的に「苦痛が一瞬で消える「はず」の疾走する電車に飛び込む方法」を採用し、これら事象の発生は増加し続けることになる。
もし、この増加傾向を減少傾向へと乗り越えようとするのならば、自殺用短銃(弾丸は基本2発つき)の無制限輸入、あるいは、その生産と販売(配給)の実施となる。
他者の行動について理解するのを拒否したい「2割」の日本人——こういった死に方を選んだ人間に対して「迷惑」だと思い、そのまま感情にまかせて口にしてしまう類の人間——からすれば違和感以外の何ものでもない話だが。
継続的に起きている「人身事故」は、銃により苦しみを最短化する自死の方法を禁じられていることから、その代替方法を選択する人間が多く存在していることを可視化しているに過ぎない。
言い換えれば、その代替方法を能動的に選択することは、希望や展望、肯定すべきモノやコト、存在の消失に支配されてしまった日本人(日本社会に参加している人)の数を示しているのだ
そう考えると、ウクライナの地で死に行く名も知られないだろう兵士と現在の社会で死を選択するかもしれない日本人は、さほど離れた距離に位置してはいないと言える。

追記

20:42、ロシアのラブロフ外相の記者会見とイングランド国会でのウクライナ担当の議員の答弁の対比がね……。
以下、意訳の上、抜粋。
――ラブロフ「……ウクライナウクライナのために公用語ウクライナ語に統一するのは、許せん」
「だから、ロシアはウクライナにおける(ロシア系の人間のために)ロシア語の使用を許可し、多様性を守ったのだ」

――英議員「我々が紛争に実際に加担しても、ロシア軍にキエフを占領される可能性は排除できなかった」
「よって、ウクライナを実力行使で援助することをしなかった」

いやいや、政治と経済は人命に勝ると再確認させていただきました。
そして、人間の生命の数え方を再認識させてもいただきました。
つまり、人間の生命の数的単位は社会的役割と地位で決定されるということだ。

「政治家と資本家の生命の数の数え方は一個人単位とする」――固有名詞をまとう死
「それ以外の一般市民と軍隊の下士官と一般兵士の生命の数え方は集団単位とする」——不特定の、塊の一部としての死

もっと単純に、空想や妄想の類の陰謀論として楽に考えてみる。
ユダヤウクライナ人であるゼレンスキーをダシにして、ウクライナ以東と以西の両商圏を現状の政治的不安定さから確実なものにしたかった世界中に散らばるユダヤ系「商人」たちによる「遠謀」なのかもしれない。
それならば、大統領選挙当選後に第二言語であるウクライナ語を猛特訓し(第一言語はロシア語)、今日まで「ウクライナのためだけの大統領」として振舞い続けてきた、インテリであり映像制作に精通した演技派コメディアン「ヴラッド・ゼレンスキー」の面目躍如である。
例えば、スーツ姿から軍用のTシャツ、そして軍用セーターへ着替えて国民と国際社会へメッセージを送る彼の姿は、まさに彼の本質の一端を示している。
身に付けている衣服という記号とその変化だけを取り出しても、置かれている状況を説明するのに十分だ。
それだけでも、高い説得力と訴求力を備えている。
――「援けを乞うている我々ウクライナを助ける行動をとらなかった西ヨーロッパの人間に失望した」
まさに陰謀論として、現時点では成立してしまうような物語にも読めてしまうが、果たして。

世界史の教科書を通して学んだことは繰り返すのだな。
古のモンゴル系(フン族)民族を現代の中華民族に置き換えてみれば、実力行使が政治・地政・経済的な側面から「精神的」かつ「意識的」にロシアを支えているのが彼らだ。
しかも、ウクライナNATO加盟が承認されれば、東ヨーロッパ地域における彼らの「一路一帯」は挫折、大きな政策転換をせざるを得ない。
したがって次は、その同じ構造上でそれぞれの役割分担を入れ替え、第二幕を始めようとするのではないか。
……それは単に僕の妄想上で展開できる程度の、穿った見方(ほぼ陰謀論)に過ぎないのだけれど。
明らかな事柄のひとつは、従来の地政学的力学は変更されつつあり、地球に住まう人々がCOVID-19以前の世界や生活に戻ることの不可能性がまた再び顕になったということだ。

9.11.2001 —— 転換点

 もうすぐ、日本の9.11が明ける。

 

 ニューヨークで9.11の惨劇が起きたとき、僕は渋谷のドン・キホーテにいた。その当時、付き合っていたあの娘といた。その惨劇の映像を見たのは、ドン・キホーテテレヴィなどが売られていたフロアで、それら商品の画面を通してだった。

 

 異国の高層ビルディングの側面から黒煙が立ち上っているのを視認した。B級映画の一場面のようだった。つまり、この世の現実を写しとったものを観ることで生じる切迫感はなかった。

 

 僕らは、壊れてしまった古いヴィデオデッキの代わりを探していた。でも、適当なものが見つからず、「どうしようか」と途方に暮れていた。その当時、経営問題に揺れていた作り手を応援するつもりでSHARP製のものを探していたのだが、あいにく渋谷のドン・キホーテには無かった。そうこうするうちに、これ以上の時を費やして渋谷で快楽を伴った遊びを続けるのも不毛に思えてきたので、その当時の棲家があった中目黒へと変えることにした。

 

 いい具合に混みあっていた東横線を経由して棲家にたどりついた。ドン・キホーテのフロアに乱雑に並んでいたモニタ越しに見た情景が残像として脳内に残っており、その感覚が僕に部屋のテレヴィのスウィッチを入れさせた。ソニー製のトリニトロンが映し出した光景は、映画やドキュメンタリーといったある種の創作物では表現しきれないようなものだった。新たにハイジャックされた旅客機が突入し、ワールドトレードセンターの建造物は今にも崩れ落ちそうな状態だった。彼女と僕はその光景をトリニトロン越しに見守った。そして、そうこうするうちに、彼女はベットに潜り込んだ。

 

 僕は生来の小心者である。その時も、小心者の気質に由来しているからか、眠れぬ精神状態にあった。モニタをずっと凝視しつつづけた。一棟のビルディングが崩れ落ち、そして、もう一棟のビルディングも崩れ落ちた。大学時代に広く芸術学を学んでいた名残で、それらのビルディングの設計者が日系人であることを知っており、そういった学びの記憶もあいまって、複雑な思いにおちいった。僕はその光景を眼にしてから、宗教に基づく価値観の対立の末に命を散らした人間のこと、ハイジャッカーによりワールドトレードセンターに否応なく突入させられ、命を散らした乗客たちのことを想像する作業に囚われた。でも、何の答えも、当時の僕には導き出せなかった。

 

 その後、9.11の瞬間を共有した女の子とは別れた。そして、いまだに独身である。その当時の僕は、まさか50歳を家庭を持たない独身男として迎えるとは、夢想だにしなかった。ワールドトレードセンターに、ペンタゴンに、そしてシャンクスヴィルに散った人間たちの生命の重量とは比べものにはならないが、自らの生命のあり方もまた9.11を契機として、そのとき重大な転機を迎えていた。なぜなら、僕は誰かと家族になるというヒトとしてのポテンシャルが欠落している、「取るに足らない」どころではない「どうしようもない」人間なのだ、という自己認識を確固たるものにしたのだから。言い換えれば、ほとほと自らの存在の価値の無さに心底気づかされたのが、リアルタイムで経験した9.11であり、その墓標だったのだ。そして、その地点からたったのひとりぼっちで、自らの意志をほとんど介在させることなくほとんど惰性に近い人生をこの瞬間まで送ることになろうとは露にも思わなかった。その点に、一方の事実としてこの駄文を書き殴る僕は気づけもしなかったのだった。

 

 なんの快楽も介在しない、いわゆる青春の蹉跌的なる記憶であり、それに絡みとられて生きてしまうなんて、なんと性能の低い人間なのだろうか。今年の9.11はそんな悲しみにも似た感情をかきたてる日となった。

 

 r.i.p.

 

仕事から逃避した。小さな小さな音楽論を、その勢いに任せてちょっと書いてみた。

 現代日本における多くの人々の音楽の聴き方は、特にライトユーザーを主体として、音楽配信会社からストリーミング配信される音楽を聴くのがメインスタイルになった。もう、その姿はそこかしこで見られ、そういった音楽との付き合い方が主流になったのか、という錯覚に陥るほどである。実際には比較的すぐに、物理的な所産であるレコードやCDなどは、すでに影響を被り年々プレス数を減少させているが、さらにまた「もうひとつの落とし穴」ごとき生産量と販売額の暴落が展開されるであろう。

 たしかに、最近はアナログやカセットテープのリヴァイヴァルムーブメントに少し火が付き、そのような状況を報道していたニュースで現状を知ってやろう、と思ったが、無理であった。辛うじて僕の耳に残っているフレーズは、二十年から三十年前の色んな、そして多彩な個性の集まりだった人たちがレコーディングした、テレヴィの貧弱なスピーカーから流れてきた〈必殺のフレーズ〉であった。

 別の角度から観察してみると、週末問わず、ほぼ毎日、この東京のどこかの箱で、その頃の音楽が流されつづけ、踊り続けている人々がいる(生息している)(生き延びている)。健全である。もう、あるステレオパターンにパッケージングされた音楽には何の興味もそそられない(もたない? もてない?)人々が、己の身体が最も気持ちよくなれる音とリズムの音声記号をいっぱいに浴びて、踊る、踊る、会話とお酒を愉しむ、そしてまた、踊る。

 僕の年代から言わせてもらえば、後者の方の身の振り方、身体性の内の方からの衝動に身をゆだね、耳には絶えず僕の小学年後期から高校に至るまでの音楽がはいりこんでくる。さぞかし気分がよかろう。一方で、「聴く専」の僕は、その流れている曲のアナログ盤から発せられるレコードノイズがパチリチリチリと聞こえて、それが甘酸っぱい記憶を頭の中と胸の奥に線香花火のように小さく響くのである。このようにして醸成される空気感は、僕が物心つくのと同時に音楽に関する物心が目覚めた(こっちの方が厄介)若かった頃の記憶をも想起させる。

 踊っている人の数だけ、DJがチョイスする音楽に身をゆだねる人の数だけ、はじめてこういったところに音楽を聴きに来た人の数だけ、そして選曲をしてくれているDJのみなさんの手持ちの曲の数だけ、色んな形にオーガナイズされかけられた音楽の数だけ、数時間前までは「重くて」「痛かった」人間の群れの関係性から解き放たれた♡が、音が作る空気の流れにより漂いながら、また新しい「♡」を呼び込むのであろう。

 いつかこういった場所性は廃れていくと思われる。有機物由来のモノが織りなす小さな箱型の世界は希少な場所となっていく。

 無機質な音ににより鳴らされている無機質的なグルーヴもまた、よい。

 しかし、僕は、このまま親父化していき「昔はなぁ~……」と語り始めてしまうタイプに分類される前期、そして後期高齢者となる。でもいいじゃないか。今からわずかに生き残るであろうDJたち・クラブの箱・オーディエンスetc... 生きてさえいれば、この東京のどこからか、年老いた人々が織りなすグルーヴが聴こえてくる、いや、それは否応なく届いてきて、きっと身体が弾み出すはずである。

 そのときの音源は、Vynalでもない。Tapeでもない。CDでもない。——配信の進化系? なのであろうか。おそらく、それはそれらすべて含む超多様性メディアであろう。こうして未来の音楽メディアを妄想する。音楽を聴くという人生の愉楽があるから、そんなことを妄想するのも、また一興である。

18.01.19 - 22.01.19


 ラップトップで調べ物をしていたら、ふとAmazonのタイムセールの広告が目に入った。そこには、これまで「ちょっと欲しいな」と思っていた腕時計が七割引きで売られていた。黒くシンプルな意匠の文字盤、そしてデイトが付いている。僕は黒文字盤・デイト付きの腕時計を持っていなかったから、品切れにはならないかとほとんど焦りながらそれをポチった。

 ムーヴメントはクオーツだ。僕が持っている腕時計は、基本、いくつかのデジタル式の時計を除けば、手巻き式や自動巻き式など機械式の時計が大半だ。でも、僕はそんな自分の趣向にちょっとだけ飽き飽きし始めてもいた。そこで今回の僥倖だ。まぁ、Amazonにコントロールされているだけのことなのだが。

 以前、時計修理用の道具を買い込んだ。中華製の安価なモノだが、無数に出ているそれらの中から、まともそうなモノを選んだ。果たして、時計のバンド替えやその調整の場面でそれらの道具を自分はつかっていけるのだろうか、と思っていた。

 そこで、まだ使った経験がない時計修理用の道具で、今回手に入れた腕時計の金属ベルトの長さを調整する。なかなかに手間取る。いまも現在進行中なのだが、生来の指先の拙さ、不器用さには、我ながらほとほと嫌になる。

 さっきまでは、腕時計の革ベルトの交換をしていた。ばねピンの扱いに難儀した。なかなかに長さの合うピンが見つからず、あってもばねの調子がいま一つで、付けても付けても外れてきたりした。

 新しい時計のステンレス製ベルトのコマ調整も、右往左往しながらなんとかできた。一連の作業を終えてみれば、それほど難儀な作業じゃないな、と感じた。機械音痴の僕ができるくらいだもの、いままで時計屋さんにしてもらっていたのがなぜだか、ほんの少しだけ損をしていたような気になった。時計屋さんの名誉のために記しておくが、時計に関する様々な知識は、時計屋さんとのコミュニケーションと注文の依頼を通して僕の内に蓄積され得たものだ。この知識は僕のアイデンティティの一部を構成するものでもある。

 どうにも、機械いじりにおける実践は苦手だ。その実践に至るまでの段階を構想するのはとても愉しいのだが。いかんせん、僕には両方をバランスよく身についている、というようなポテンシャルを内包していないことが、今回も痛いほど知らされた。

 小手先でいい。小賢しくていい。僕は器用さがほしい。

12.01.19 - 17.01.19


 指先がほのかに痛む。

 最近、再びギターを弾き始めた。何年くらい弾いていなかったのか。怖いもの知らずを装って思い起こしてみると、それはだいたい七八年ぶりだとの結論に至る。

 仕事に行き詰ったときに何げなく席をたって、朝に一日分淹れたコーヒーをちびりちびりと飲みつつ、あぁでもないな、こうだったっけかな、と失われた時を仮構し直すかのようにギターを弾くのは、どうもほんの少しだけストレスがやらかくなるような気がする。
 
築五十年の物件という住環境的に端を発する事情があるので(当然のことながら、壁が形而上的に薄い)、大っぴらにはかき鳴らせないのは残念だが、爪弾く程度に弾いている。大きな音をたてないように、爪弾くギターはソリッドボディのエレキギターだ。近頃はサイレントギターなるものがあるらしいが、ウェブ上を逍遥して調べてみるといかんせん値が張るので、昔ながらのエレキギターで小さな音を鳴らしながら悦に入るという時代錯誤的作業をほどほどに愉しんでいる。
 
 ひとたび何らかの変化に慣れてしまうと、なかなか元には戻れない。最近、カチリカチリとクリック音がするマウスを静音マウスにした。元のマウスが故障したわけではないのだが、マウスをふたつ使わざるを得ない状況になると、どうしても置き換え前のマウスの使用感を味わいたくないので、USBレシーバーをせわしなく付け替えながら静音マウスを使っている。静音マウスのクリック音「コクリコクリ」は「カチリカチリ」から玉座を簒奪したようだ。
 
 なんだろう。近頃、自分が存在する空間で生起していることは〈音〉にまつわることがやけに多いなと、この日記を書いていて整理がついた。合点がいくところまではいかないが、そんなものなのだろう。

30.12.18 - 11.01.19


 なんだのかんだのと喚き散らしている間に、吾知れず年が明けていた。いよいよ「平成」にピリオドが打たれ、公的な歴史として書かれる時代を構成する一部になるのかと思うと、なにやら少しだけ鼻の奥がツンとするような感慨が湧いてくる。

 昭和・平成・新元号と三つの元号の時間区分のもと生きてきたのだとも思う。子どもだった頃、僕は明治・大正・昭和という三元号を生きてきた祖父の存在にさほどのリアリティをもつことはなかった。それに引き換え、いざ自分が三元号の時間区分のもとに生きていることが現実となりそうだと意識せざるを得なくなったいま、その祖父の存在に関する思い出がやけに実存的な感覚として生起してくる。時を生きるという事実は、表面上ノンフィクショナルな時のあり方として捉えられる。だが、それをリアルなものとして、またフィクショナルなものとして認識するには、自分自身が時間軸上で祖父の生と自分の生を同時に引き受けることが必要なのだなと思ってみたりもする。

 ここのところ行けていない、ではなくそれが意識に上るのを恣意的に妨げている先祖の墓参りをしなければならない、という意識が惹起する。

 昨年末、某オークションでジャンク品扱いだったせいなのか常識外れの値段で手に入れてしまったラップトップが、先週申し込んだメーカーの修理から手元に戻ってきた。前所有者が加入していた保証がまだ使えたおかげで、修理費用は発生しなかった。第六世代プロセッサー。それは僕にとっては最新型と同じに等しい。世界はどこで何がどうなっているのか分からぬ偶然に満ちていると頭の中で、まさかの幸運とともに、独り言ちてみる。

 その昔、祖父は古き存在だった。僕もこれから、古き存在として生きていくのだ、という思いを抱かざるを得ない年の瀬と年明けだった。はたして、僕の存在をそう捉えてくれる誰かはどこかにいるのだろうか。