18.01.19 - 22.01.19


 ラップトップで調べ物をしていたら、ふとAmazonのタイムセールの広告が目に入った。そこには、これまで「ちょっと欲しいな」と思っていた腕時計が七割引きで売られていた。黒くシンプルな意匠の文字盤、そしてデイトが付いている。僕は黒文字盤・デイト付きの腕時計を持っていなかったから、品切れにはならないかとほとんど焦りながらそれをポチった。

 ムーヴメントはクオーツだ。僕が持っている腕時計は、基本、いくつかのデジタル式の時計を除けば、手巻き式や自動巻き式など機械式の時計が大半だ。でも、僕はそんな自分の趣向にちょっとだけ飽き飽きし始めてもいた。そこで今回の僥倖だ。まぁ、Amazonにコントロールされているだけのことなのだが。

 以前、時計修理用の道具を買い込んだ。中華製の安価なモノだが、無数に出ているそれらの中から、まともそうなモノを選んだ。果たして、時計のバンド替えやその調整の場面でそれらの道具を自分はつかっていけるのだろうか、と思っていた。

 そこで、まだ使った経験がない時計修理用の道具で、今回手に入れた腕時計の金属ベルトの長さを調整する。なかなかに手間取る。いまも現在進行中なのだが、生来の指先の拙さ、不器用さには、我ながらほとほと嫌になる。

 さっきまでは、腕時計の革ベルトの交換をしていた。ばねピンの扱いに難儀した。なかなかに長さの合うピンが見つからず、あってもばねの調子がいま一つで、付けても付けても外れてきたりした。

 新しい時計のステンレス製ベルトのコマ調整も、右往左往しながらなんとかできた。一連の作業を終えてみれば、それほど難儀な作業じゃないな、と感じた。機械音痴の僕ができるくらいだもの、いままで時計屋さんにしてもらっていたのがなぜだか、ほんの少しだけ損をしていたような気になった。時計屋さんの名誉のために記しておくが、時計に関する様々な知識は、時計屋さんとのコミュニケーションと注文の依頼を通して僕の内に蓄積され得たものだ。この知識は僕のアイデンティティの一部を構成するものでもある。

 どうにも、機械いじりにおける実践は苦手だ。その実践に至るまでの段階を構想するのはとても愉しいのだが。いかんせん、僕には両方をバランスよく身についている、というようなポテンシャルを内包していないことが、今回も痛いほど知らされた。

 小手先でいい。小賢しくていい。僕は器用さがほしい。