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 アンプリファーが、壊れた。音楽が鳴らない。
 このアンプは以前一緒に住んでいた女の子から貰ったものだ。貰った、言うより「置いていった」と言った方が正しいのかもしれない。
 使いはじめから、音源を選ぶセレクターが壊れていた。ちょっとしたテクニックで微妙な調整をしながらセレクターのノブを回さないと音が出ない。でも、そんなわがままさがまた楽しくもあり、新しいアンプの購入を考えることはなかった。音もまずまず良かったので、重宝していた。
 だけど、壊れた。セレクターがあっちこっちへと飛びまくるようになり、一定しなくなった。何とか微調整をして音が出る状態になっても、またしばらくすると無言状態になった。
 徐々にipodで音楽を聴くようになった。音楽を聴き込むことがなくなった。
 そして、アンプは手がつけられなくなった。どうにもならなくなっていた。
 元のアンプの持主の生きかたに似ていると思った。別れたときにあったことの一部始終を思い出した。
 このアンプをこれ以上鳴らすのは、あきらめた。

 新しいアンプリファーを買った。中古で、だが。色々と調べて機種を絞り込み、最終的にサンスイのアンプを、オークションを通じて手に入れた。「山水」という言葉の響きも決め手だった。このサンスイのアンプは1985年に発売されたものだから、22年もの、ということになる。酒と違うのは、機械ゆえに、内部では熟成でなく劣化が進んでいくというところだ。
 22年前。14歳。人生で一番女の子にもてた時期だ。そんな季節はあっという間に過ぎ去ってしまったが、僕にもそんな頃があったことをこのアンプは思い出させてくれた。
 出品者との一連のやりとりのあと、アンプは思ったよりも早く届いた。仕事は午後からだから、午前中一杯を使ってセッティングをした。20kg近くあるものなので多少は難儀したが、何とか音を出せる状態までセッティングすることができた。
 そして、電源を投入する。ドキドキした。好きな女の子とはじめて繋がるときのような感覚と似たものがある。男子は妄想が激しい。特に、僕は。機械相手にでも妄想をしてしまう。動いてくれるのだろうか。どんな音を奏でてくれるのだろうか。そういえば、これまでの人付き合いにおいて、現実主義者の男とは仲良くなれなかった。たぶん、これからも。むべなるかな。
 「ガリビリ」とガリ音がした。どのスイッチをいじってもガリ音が出た。やはり年代もののアンプである。劣化が否応なく進んでいる。仕方がない。考えても詮無きことなので、アンプが温ままりはじめた頃合を見計らい、音を出すことにした。仕事までの時間がないので、とりあえずipodのソースを鳴らすことにした。
 今までに聴いたことのない音がした。mp3・192k以上のデジタルデータとはいえ、聴こえなかった音が鳴っている。確かに聴こえた。耳が捉えた。今までずっと使っていたスピーカーから聴こえた。アンプを変えただけでこんなにも音像が変わるものなのか。知らなかった。時々ガリ音が混じるが、さほど気にならない。
 仕事に行きたくなくなった。

 今日、時間ができたので、アナログを鳴すことにした。レコードプレイヤーをいじるのもとんとご無沙汰だった。プレイヤーの掃除をして、アームや針圧の調整をしなおした。それから、レコードをかけながら何度か微調整を繰り返して、ポイントを探った。そして、伸びる、質感のある音が出るポイントを見つけた。
 今、鳴っている。またも、聴こえなかった音が聴こえてくる。ipod以上に。やっぱりアナログの音にはかなわない。胸が高鳴る。心が震える。魂が身体のどこにあるのか、その在処を感じる。アナログの音は僕をそうさせるのを厭わない。
 バズコックスがドライヴしていく。ピートシェリーの声が突き刺さる。ラロ・シフリンが部屋中に染みわたる。佐藤伸治の声が僕を泣きそうな気分に導く。ベニー・グリーンのトロンボーンが伸びる。遠藤賢司の息遣いが耳を擽り、気持ちをざわつかせる。レム・ウィンチェスターのヴァイブスが僕をやさしくしてくれる。はっぴいえんどのリアルな演奏が浮かぶ。ドクター・フィールグッドがウキウキさせてくれる。そして、眼の前で泉谷が、チバががなる……。ティーンエイジ・ファンクラブがほのぼのさせてくれる。ベル・アンド・セバスチャンがしみじみさせてくれる。バーナード・サムナーやイアン・ブラウンの下手ウマな歌がどうしようもなく無二の歌声に聴こえてきて、心を揺さぶり、涙腺を刺激する。……。
 久しぶりだ。こんな感じ。

 オーディオマニアではないので、この「山水」アンプの価値は分からないが、おかげでまた音楽にのめりこみそうだ。深く潜っていきそうだ。最近、何かに潜ることを忘れていたのかもしれない。何かに深く手を伸ばすことをおざなりにしていたのかもしれない。そういったことが、足りないのかもしれない。
 人間になったような気がする。

 相変わらず、今も、鳴っている音楽に「ガリバリ」という雑音が時折混じる。今は音を出さなくなったアンプは、まだ新しいアンプの上に置いてある。
 でも、それでいい。人間同士の関係に起きることとほとんど同じである。ただ、それだけである。
 今日と明日は「自宅仕事の日」である。音楽を聴きながら、小論文の添削物を片付けてしまおう。君が考えたことは何ですかと、紙の上に散らばった字の向こうにいる君へ問いを投げつつ。

 「山水」くん、今日も、今晩も、最後までよろしく。