words for equipments

「このアンプの音は良い」「このスピーカーは音が良い」
 ――よくあるオーディオ機材に関する迷妄の類である。

 オーディオ機器の「良し悪し」を決定できる基準点はそもそも存在しない。それらに関する評価基準はその使用者の中にある。いわゆる「主観」である。「主観」が基となる「基準」は常に揺れ動く。「主観」の性質は固定されえないものだからだ。したがって、オーディオ機器に対する、一見客観的に見える「良し悪し」は九分九厘感想の類だといえる。

 困ったことに、それを他者へ押し付けてくる輩がなんと多いことか。自分が単純なる好き嫌いを伝達しているのに気づかない。果ては、何か言おうものなら、マウンティングするかの如く、自分の内なる「判断の正しさ」「聴覚の客観性」で相手の感想に上書きしてくる。

 オーディオ機材を論評するにおいて正しき表現は、〈このアンプの音を自分は好きになれない〉〈このスピーカーの音を自分は良いと感じる〉といった主観的表現である。つまり、オーディオ機材を論評するという行為は相対的他者へ己の感想を投げかける行為なのである。

 つまるところ、自分の聴覚を通しての〈良い〉〈好き〉といった感想だけが、自分にとっての正しき〈良い音〉なのである。「このスピーカーの音はラジカセ並だ」――喧嘩常套である。私はそのスピーカーの出音が好きなだけなのだから。要は、ヒトは「機材自慢大会」に参加している自らの意識の状態を誤翻訳しているのだ。