2017.09.21

 ここのところ、右足の調子が良くないことを記述し続けているのだが、相も変わらずその状態が続いている。不随意運動、とでもいうのだろうか。とにかく、僕の右足は僕の思い通りには動いてくれないのだ。だから、僕の歩く姿は左足の運びと右足の運びの調和がとれていないので、どうにもちぐはぐだ。歩いているときの足音も明らかに違う。左足は地面との親和性がとれているからほとんど足音がしないのだが、右足は、特に着地するときのモーションのコントロールが効かないので「パタッパタッ」という音が鳴ってしまう。

 身体の動きをつかさどる脳になんらかの異変が起きているのだろうか。それとも、右足にまつわる神経系統に問題が生じているのだろうか。神経科や脳外科を受診しなければいけないな、と思いつつも生来の病院嫌いは相変わらずで、僕のTo Doリストの中においてそれは最下位に近い重要度だ。突き放して言えば、老化が原因なのだろう。単に老けたのだ。物理学でいうエントロピー変化が僕の身体で進行している。エントロピーからは誰も何物も逃れられないのだが、僕もその法則を再現するひとつの生命体という物質だということなのだろう。〔つづく〕

〔承前〕
 10時を少し過ぎた頃、ゆうパックの宅配を受け取る。配達員を生業にしている方々を僕はいつもリスペクトしている。

 さて、荷物の内容はというと、ひょんなことから手に入れたONKYO(オンキヨー)製のラウドスピーカー「D-150 Liverpool」だ。オンキヨーの機材を使うのは17,8年ぶりになろうか。初めてではない。昔、上目黒に住んでいたとき、同棲していた時期があるのだが、そのときのパートナーが使っていたハイコンポがオンキヨーのものだった。INTEC275シリーズだったと思う。スピーカーの下のインシュレーターまでオンキヨー製だった。このアンプにDJ道具をつないでよく遊んでいたっけ。オーディオとしての使い道よりそっちの方が主だった。

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 午前中にセッティングを終え、少し音出ししたのだが、なにかあの頃にレイドバックしていくような感覚に陥った。でもそれも束の間、音を聴きながらいそいそ仕事へ行く準備をした。僕の人生も気がつけば後半戦に突入しているのだ。〔つづく〕

〔承前〕
 いまフィッシュマンズを聴いている。このスピーカーは佐藤伸治のヴォーカルの繊細さを上手にすくいあげている。ただ、フィッシュマンズのバンドアンサンブルの基底である低域、特にベースの音の表現がもの足りない。デノン製のアンプリファーと組み合わせているので、音楽が破綻するのを免れている。オンキヨーの音作りは日本で録音された音源に強みをもつことが、音を聴いていてなんとなく、それとなく、伝わってくるような気がする。また、デノンの音作りとオンキヨーの音作りを相対化するとコントラストが明確になる。デノンは「音をハーモナイズして塊として送出する」のに対して、オンキヨーは「クリアネスを求めて、見通しの良い音をまとめあげる」という感じだ。〔つづく〕

〔承前〕
 昔はスピーカーだけが楽器に近い機材だと思っていた。だけど、アンプもCDプレイヤーもDACも、そしてコード類も、音を鳴らすのに関係しているものはことごとく楽器の要素を持っているのだな、とこの歳になってようやく分かったような気がする。〔了(仮)〕