"ill"minations

 僕が住んでいる部屋の前にある家が、電飾を点け始めた。迷惑である。

 理由その壱。僕はキリスト教徒ではなく、また、キリスト教文化を根底に持つ文化の中で育った経験がないので、「クリスマス」に全くもって関心や興味がない。幼い頃カソリック教会付属の幼稚園へ通っていたが、その頃からなぜクリスマスをしなければならないのかという疑問を抱いている。「サンタが来てプレゼントを置いていった」などと話す同級生に対して軽蔑と哀れみを感じていた性である。ちなみに実家は浄土真宗の寺の檀家である。その寺の息子は、僕の中学・高校の先輩である。この話と関係はない。

 理由その弐。僕の仕事机はその家と正対した窓際にある。よってカーテンを開けていると「チカチカチカチカ」と光が視界に入ってくるので、どうにも集中できない。カーテンを閉めても抑止効果は半分であり、不本意ながら光を通してしまう。仕事をするときはもともとやる気がない状態だから、鬱具合への効果はさらに倍である。クイズダービー大橋巨泉状態である。

 理由その参。自分も含めて何においてもそうであるが、環境のことを何も考えず、自己満足の傍迷惑な行為を目にすることは精神上良くない。ここは「アメリカ」ではない。隣近所が肩触れ合わせて生きている都市環境で許容範囲を超えたイルミネイションを光らせるのは単なる「視覚上の押し付け」である。押し付けも時と場合による。この国のこの季節のこのような「押し付け」は迷惑である。

 まぁこの程度の理由くらいしかないので、黙認することにする。
 「樅の木もいいしサンタもいいけどよ、そのまま手直し入れて、初日の出や門松、壱富士弐鷹参茄子で『正月電飾』くらいしてみやがれってんだ。おととい来やがれこのスットコドッコイ」と、伴淳三郎ばりに心の中で毒づきながら仕事をする。

 いいなぁ、資本主義って。頭の中が腐れば腐るほど生き易くなっていくなんて。いにしえから積み重ねてきて今のように高度化させてきた人間はホント、偉大だよ。人類の歴史に最敬礼である。
 僕も腐ることでその恩恵をいっぱい受けているしね。

 信じる者、疑わざる者は救われるのではなく、はじめから救われているものである。