a day without a plan

 夕方から呑んでいる。

 昨日まで地方で仕事をして、今日はオールデイフリー(なんだ、この表現)の日である。午前中から前に注文していたものが立て続けに届けられた。その中には山水くん3号も含まれていた。午後はその整理やセッティングをゆっくりとやった。
 こんなに余裕がある時間は久しぶりだ。あとは、ボカの試合をテレヴィで見るだけである。実のところ片付けなければならない仕事は残っているのだが、今日はやらないと決めた。明日やって結果を出せばいい。自信はないが、そう決めた。

 山水くん3号は本当によい音を出している。その音に聴き入ってしまう。そしてリラックスしすぎて眠ってしまいそうだ。AU-α607NRAという中級機なのだが、僕レヴェルの耳であれば、蕩けてしまいそうになる音を奏でてくれる。ちなみにこれは、僕が大学を卒業した年に生産されたものである。
 良い買い物をした。

 ボカの試合を見るだけだと言ったが、いま日本で行われているクラブ・ワールドカップ浦和レッズがどれだけ勝ち進んでも、僕は何とも思わない。ベガルタ仙台のサポーターだからだ。日本代表の試合も、我がクラブからメンバーが選ばれていなければ、何の関心もない。反対に、負けろ、と思う。我がクラブから選手を選出しないから負けるんだ、と思いたいからである。言い換えれば、僕は日本人である前に、東北人である。明治以降、そして現在も「西」や「中央」から虐げられている東北人である。これは一種のナショナリズムであるが、地域ナショナリズムはこういう状況から発生するのだ。

 だから、東北の子たちに現代文や小論文をすすんで伝えているのだ。

 非国民。そうです。東北人です。
 それがどうした。今日も呑むのだ。