in a bad condition

 最近、カメラの調子が良くない。
 買ってからこのかた、おそらく六万枚以上の撮影をしただろう。どこかにガタがきてもおかしくはない。買い換えるか修理に出すか。悩ましい。
 今まで使ってきたカメラの中で一番好きなカメラである。銀塩やデジタル、値段の高低を問わず、この三万円前後で手に入れたカメラが、僕の意識のあり方に一番寄り添っていたような気がするからだ。このカメラを使って世界を切り取ると、そのときの僕の精神状態が画面に現れていることが多かった。それは気恥ずかしさとともに、自分をいくらかでも客観視するのに役立っていた。また、それが自分自身の表現ともなっていたと思う。
 もう生産はしていない。だが、調べてみると修理はできるみたいだ。一番良いと思う方法は、新しいカメラを買って、そしてこのカメラとともに使うことだ。このカメラが発売された当時と比べて格段に進歩した現在のカメラと同じように使うことで、自分がこの時代とコミットしているのか、どのようにコミットしているのか、それは自分にとって良いのか悪いのか、これから僕の視線はどうなるのだろうか、などということを考えることができる。それは何気に重要な作業のような気がする。今の自分にとっては。
 永遠なものなんてないことは分かっている。どこまで付き合っていけるのか、どこで消え去っていくのか。
 ほんの少しだけでもそんな時間の表情が見えたら、それで十分のような気がする。それは、人間相手でも同じことなのかもしれない。
 明日もこのカメラを持って街へ出る。仕事へ行く。もしかしたら調子を取り戻すかもしれないという淡い期待を抱きながら、このカメラを右のポケットに入れて外へ向う。それは、自分の内へ向う作業でもある。
 だから、僕はこのカメラを修理に出すことにするのだろう。きっと。