the cat, the last moments of.

 精神科から帰る道すがら。白いコンクリートの上に寝そべって日向ぼっこしている猫がいた。いつも見る猫だ。写真を撮ろうと自転車を止めて、カメラをセットして、ゆるりゆるりとその猫に近づいた。最初は遠目から一枚。近づきながら、また一枚。そこまではいつもの猫撮りであった。
 猫が顔をあげた。力なく顔をあげた。その顔は酷く崩れていた。吐いたのか、口の周りから胸にかけて粘液にまみれ、顎は確認できず、瞳は白濁し、毛はごわつき、生気はほとんど感じられなかった。息は荒いというよりも、絶え絶えになっている。
 抱えていた病気が進行したのだろうか。それとも、車にでも轢かれたのだろうか。あるいは、昨夜まで降り続いた台風の雨にやられてしまったのだろうか。あるいは、もう年寄りだったのだろうか。夏が悪さをしたのだろうか。
 野良猫の一生は短いという。4、5歳がヤマだ、という。
 その猫の姿を記録したかった。電子の粒でも良い。それから数枚、その猫の姿を電子の粒に変えてSDカードの中に収めた。無性に記録したかった。しかし、そう思った後、自分でも何故かは分からないが、カメラを向けるのを止めた。こんどはこの眼で、肉眼で捉えたくなった。そして、僕はその猫に触れたくなった。
 手を伸ばした。指先が頭にほんの少しだけかするように触れた。その瞬間、その猫は触れられるのを拒否するかのように立ち上がった。ゆらりと立ち上がった。よろめきながら歩き出した。壁にもたれ、ぶつかりながら、いつも寝床にしているだろう黒い車の下にゆっくりと潜り込んで行った。そして、安全だと思われるその場所にその身を横たえた。
 生命の威厳を見た、というには格好良すぎるのだろうか。でも僕はその猫の姿に、動きにそれを見た。反対に、簡単にその生命の最期に触れようとして手を伸ばした僕は、自分のことを浅はかな奴だと思った。身体を擦ってやりたいと思い、しかし、そうやすやすと生きものの尊厳に触れられるはずがない。それに気づけない自らの浅はかさを呪った。
 それからその猫の姿を見ていない。僕は今もその場所を通るとき、その猫の姿を探してしまう。黒い車の下を覗き込んでしまう。そして、何故か頭を下げてしまう。御礼をするかのように。暗黙の内に鎮魂を願いながら。その道を通る度に、おそらくはもうこの世にいないであろうその猫の姿を探してしまうのだ。
 今日の帰り道の始まりは土砂降りの雨だった。そして部屋に着く頃、空はからりと晴れていた。
 そんな帰り道の途中、いつもの場所に、その猫はいなかった。
 星が、見えた。

 勝手なものだ。人間も、夏も。猫も。すべてはつながりながらも、われ先へと急いでゆく。