like a diary

 文を書く時間ができた。あいかわらず、心の余裕はないけれども。ここにいたるまでの時間にあったことを日記風に書き連ねてみようと思う。男もすなる日記かな。
 11月4日、加筆修正。

某月某日
 来年度のコマを確保する運動に失敗した。書類で落とされるならまだしも、模擬講義で落とされてしまった。完全に自信喪失である。なぜなら、模擬講義まで進みながらも不採用になったのは初めての経験だったからだ。今までやってきたことは何だったのだろうかと、自問自答モードに入る。プロフェッショナルから駄目と言われるプロフェッショナルに存在価値はない。当然のことながら。
 我が身の低能さを呪う。

某月某日
 体調がすぐれなくて、今日やるはずだったTK校とTZ校の講義を休講した。にっちもさっちもいかない。身体も、心も。体調と心の管理ができないということは、何をしたって不採用になっても当然ということだ。
 我が身の低能さを呪う。

某月某日
 最近、憂さ晴らしに買い物ばかりしている。じっくりと選ぶ時間がないので、見切り発車的に次から次へと物を買う。おかげで貯めておいた来年初めの、つまり仕事が閑散期となるときに使う予定の生活費をすべて使ってしまった。どこかでバイトしなければならない。貴重な休養の期間はなくなった。
 我が身の無計画さを嘲う。

某月某日
 最近、公園の猫が妙に優しくしてくれる。まるで前世が猫であった気分になるくらいに優しい。撫でても抱き上げても、文句のひとつも言わない。猫撫で声で「ニャァ」と鳴くだけである。まるで「撫でろ」とせがんでいるかのように腹を見せる。僕は撫でる。
 きっと餌を与えてくれる人の数が増えたのだろう。僕のことも優しくしておけば餌を与えてくれる人間にちがいないと思っているのだろう。しかし、僕は君に頼るが、君たちに餌をあげられるほどの金はない。自分が食べるので手一杯だ。
 我が懐の薄ら寒さを思う。

某月某日
 Y校で持っている小論文のクラスからAO入試の合格者が出た。京都にある某大学に合格。もっともその子の第1志望は東京にあるJ大であり、その滑り止めに受験した大学なので、あまり意味はない。だが、未来をひとつ作り出した。
 まず、ひとり。
 我が心が、安心とともに、ほんの少しだけ躍る。

某月某日
 買ったばかりの山水のアンプが閃光とともに煙を出しながら、壊れた。中古で買ったので、仕方ない。それまで、膨らみがありつつも輪郭のはっきりとしたとてもとてもよい音を奏でていてくれていたので、少し悲しい。
 しかし、いまは際限のない物欲の延長で予備に買っておいたLuxmanのアンプが活躍してくれている。Luxmanの中でもとても安く、エントリーしたての初心者向けではあるが、所有欲を擽るルックスを持ち、甘口と辛口の中間ですっきりとした日本酒のような音を出すアンプだ。このアンプが出す音の味も捨てがたい。
 我が心に日本人のものづくりに対する感謝の気持ちが姿を現す。

某月某日
 去年から地方で出講しているところより、来年度に向けてのオファーを受けた。今年よりも出講する校舎とコマ数が増えそうである。東京近辺で行っている仕事と比べてペイが1.5倍のところなので、本当なのかどうか疑わしい。僕ごときにそのような厚遇は考えられないからだ。本当ならば、生活に少しだけ余裕ができるのだが。
 向こうによほどの裏事情があるのだろう。ここの先行きはあやしいのかもしれない。
 猜疑心の塊になる。

某月某日
 薬の処方量が増えた。致し方なし。

某月某日
 通信販売で濃茶色の棚を買った。CDの置き場所を変え整理するためだ。
 横幅はそれほどでもないが、高さは180センチある。当然、僕より高く、大きい。組み立てに苦労した。部屋が木屑と埃だらけになった。
 棚をなんとか組み立てセッティングしてからCDを整理しはじめた。棚はすぐに一杯になった。こんなに持っていたのかなと、思ったよりも数が増えていた。もうひと棹買わないと駄目みたいだ。
 割れたケースのCDが多い。前に一緒に住んでいた女の子の気が狂ったとき、僕は腹いせに物に当たっていた。ラックからCDを取り出しては壁に投げつけた。その名残だ。その時に何十枚かCDを失ったはずだ。
 思い出したくないことを思い出す。

某月某日
 knollの椅子を中古で買った。定価は13万円だが、1万3千円で買った。傷がたくさんついている。しかし、佇まいが良い。容といい色といい、一目惚れである。座り心地がとても良い。
 座面に張られた布の色は我が母校のスクールカラーである。ちなみに母校とは大学のことではなく、高校のことである。大学は滑り止めで仕方なく入学したところなので、僕の人生の恥のひとつである。だから、母校とは言わない。生徒に「こういう人生を送っちゃダメだよ」ということを伝えるためのものでしかない。それが僕の、学歴。
 椅子の話に戻る。何よりも肘かけ付きなのが良い。座っているとなにか包まれている感じがする。心地が良い。仕事がはかどる。音楽が良く聴こえる。物忘れが軽減される。
 幸せ気分になる。

某月某日
 Y校での講義のあと、ヨドバシカメラに寄り、空気清浄機を買った。煙草の煙や脂がパソコンやオーディオなどの寿命を縮めることを懸念してのことだ。まぁ、これから冬に向けて窓を閉め切って煙草を吸うようになるので、この際思い切って買おうと踏ん切りをつけたことも要因だが。
 なかなか良いデザインや色味のものがなかった。モノはシンプルなデザインで、黒・濃茶・赤系でなければ、最近は許せなくなった。歳をとるごとに基準が厳しくなるのもどうかと思うが。
 店員から色々と説明を聞いたが、良く分からない。店員は売らんとしているものを薦めてくるので、話半分に聞いておかなければ。
 予算の関係もあり、数少ない選択肢の中から、心を許せる数少ない関西のメイカーであるSHARPの製品を選んだ。多少性能は落ちるが、デザインと黒という色味を優先した。僕が持っているキャリーバッグやCANONのプリンターと同じ佇まいをしている。
 こういう選び方もあって良い、と思う。
 交渉したらポイント付きでさらに1割引いてくれた。いいぞ、ヨドバシ。持ち帰るとき、キャリーをオマケしてくれて、それにブツを括りつけ、引いて家まで帰った。なかなか良いサーヴィスだと思う。こういうことをビックカメラはしない。こういった細かい所作が株価に反映されているのが分かっているのかな、ビックカメラのひとたちは。
 これからはなるべくヨドバシにしようと思う。

某月某日
 K校の講義で、先週休講してしまったお詫びに「檄」をとばした。これは僕が出た高校のやり方である。腰に手を当て肘を張り、足を肩幅に開く。そして腹に空気を入れ、溜め込んだところで、声とともに大きく吐き出す。
 「……全員合格!」
 当然マイクは切ってある。
 広い教室に僕のがなり声が広がっていく。20年の時を経て、檄をとばすのも悪くない。それを受ける生徒はただ単に迷惑だろうが。
 ちょっとだけ気が引き締まる。

某月某日
 オークションで小さなスピーカーを落札した。もちろん、中古である。以前、SONYが企画から設計・製造までをイギリスで行なったSS-86Eというものだ。
 イギリス産の音楽を非常に良く聴く僕としては、この小さなスピーカーが地元の音楽をどのような音で表現するのかがずっと気になっていた。そして、確かめてみたかった。他のイギリスのオーディオメイカーのスピーカーは小さなものでも値段が高く、僕の収入に比して考えると手を出しづらかった。その点このSONY君は、たしか定価でも3万円か4万円そこそこなので、「えいっ」という気持ちで今回落札した。とはいえ、7,500円だが…。
 それが、届いた。様々な緩衝材でスピーカーが大事に大事に包まれていた。前オーナーの物へのこだわりが伝わる。その梱包を解いて、早速セッティングをする。アンプはLuxmanのL400である。安くてもLuxmanの色づけが仄かに香る音を出す。アンプと接続するスピーカーコードもヨーロッパ産のものを使う。
 このスピーカーで鳴らす1枚目は、もちろんTeenage Fanclubである。彼らの音を現地と同じように鳴らしたいがためにこのスピーカーを買ったようなものだ。とはいえ彼らは、「イギリス」というよりもスコットランドグラスゴーが本拠地だが。早速、"Songs From Northern Britain"から演奏させてみる。
 まず、意外と明るく、通る音を出した。もっと、まるでイギリスの空のように曇った音がするのかと思っていたが、さらりと音を流してくれる。まだアンプが温まっていないせいもあるだろう。もう少し、待とう。
 アンプが温まってくると、音像に奥行きが出てきた。楽器の定位が分かる音作りをしている。
 次はKinksの"Kinda Kinks"を聴く。レイ・レイヴィスの声が地元で鳴っているような錯覚がする。
 スピーカーの説明書の特長の欄には「ヨーロピアン・サウンド」と書いてあるが、ここまで聴いているとブリテン島の〈曇り空の隙間からのぞいた青い空〉と〈その空の下にある生活〉を感じさせてくれる音像である。向こうの島に漂う空気がこちらに流れてくるとでもいおうか。僕の勝手なイメージが音をそう聴こえさせているだけなのだが。向こうの専門誌でこのスピーカーの評価が高いのは、そういった点が専門家の評価対象になったのではないか。そんな勝手な想像が膨らんでくる。さすがに小さいスピーカーなので限界点ははっきりしている。また、高音域が少しだけきついような感じがする。だが僕と同じように、6畳という限定された空間で生活する都市プロレタリアートにとって最適な部類に入るスピーカーではないかと思う。
 またTeenage Fanclubに戻って、"Howdy!"をかける。このアルバムは、彼らのアルバムの中では評価が低いようだ。だが実は佳曲揃いでとても良いアルバムであると、僕は思っている。詞の世界観が良い。特に"I Need Direction"や"Near You"、"If I Never See You Again"などを聴くと泣けてしまう。そんなアルバムを、このスピーカーは生きいきと鳴らしてくれる。
 普段使っているBOSEの125WestBoroughと違って、プリ部でのトーンコントロールがいらない。直接入力でバランスがとれた良い音を奏でてくれている。SONY、グッジョブ。ちなみにBOSEの125WestBoroughは高音部を持ち上げてやれば、生来の中低音域の良さがさらに引き立ち、全体として良い音像を作り出してくれる。これはこれで、非常に捨てがたい魅力がある。
 長くなった。それだけSS-86Eが良い音を奏でてくれたということだ。
 ちょっと向こうへ旅行してきた気分になる。大事に使おうと思う。

某月某日
 明日から仕事だ……、と思うとダウナーになる。薬を飲む。
 薬が効いてきたので、開き直って昼間からビールを飲みながらコインランドリーで洗濯をする。三幸製菓の「サラダせん」をつまみに。
 この時点で明日の仕事の準備、つまりテキストの予習は何もしていない。内情を明かすように言えば、テキストは僕が作っているので、どうにでもなると言えばどうにでもなるものだが……。生徒の眼や耳や頭はそれを許さない。講義は講師と生徒の知の戦いである。
 しかし、この日記を書いている間も、何もしていない。心が重い岩のように動かないのだ。
 どうなることやら。
 なるようになれ、という気分になる。

某月某日
 生きるとは、あなたから任された仕事である。
 そう、思った。

 そんなこんなで、どこかで途切れるまで、僕の人生は続いていく。