walkin’ in the market

 晴れていた空が俄かに曇りだす。そのうち空を覆っていた雲が切れ、晴れ間がのぞき陽の光がさしてくる。そんな天気の表情は今日、二度繰り返された。

 二度目のとき、僕は外を歩いていた。商店街のある通りではフリーマーケットが開かれていた。いまにも雨が降り出しそうな空の下、通りのそこかしこで売り買いがおこなわれている。掘り出しものを見つけようと渡り鳥のようにあちこちの出店を覗き込み商品を穿りかえすひと、客の値引き要求に一円でも負けまいと言葉で踏んばる店主。みな、楽しんでいる。その波のあいだを、人がごったがえしている通りをつきあたりから入口の方へ向け、人の流れに逆らって歩いた。

 ヴィニールやCDで何か出物があればと思いながら歩いていた。途中、ある出店で、濃い茶色が程よい感じの、正方形の天板をもつ卓袱台をみつけた。アンティークと呼ぶのは気がひける。古道具。その天板にはいくつかのネックレスなどのアクセサリーや色鮮やかでいびつな形をしたコップが陳列されていた。その天板の端の方をみてみると、その展示台となっていた卓袱台そのものにも値がつけられていた。御代、五千円也。その筋の店で買うよりは全く安い。約半額の値だろう。

 しかし、いまの僕の懐具合ではなんともこころもとない。その卓袱台の姿を眼の片隅に焼きつけ、通りの出口まで歩いて「TSUTAYA」に寄り、帰り道、それでもその卓袱台が売れ残っていたら買おうと心に決めて、歩をすすめた。たいていこんなときは、買おうと決心して戻ってみたら誰かが買ってしまい、その欲しかったものは消え失せていた、というのが落ちだ。僕はこれまで何度もそんな経験をしたことがある。そのたびにせつなくなる。しかし、今回は自分に対してそれを諦めさせるためにも、無駄遣いを戒めるためにも、そう考えることにした。

 歩を伸ばして、「TSUTAYA」に寄った。目当ての映画はすでに借りられていた。当然である。今日は日曜日だ。少なくとも前日、土曜日には週末のささやかな娯楽を求め、誰かがその映画を借りていったに違いない。

 何の感情も動かされずに階段を降り、外へ戻る。雨が落ちてきていた。まだそのときは地面も濡らさないほどの降りだった。

 通りに店を出している人々は、店じまいの準備を始めるものもいれば、まるで雨など降っていないかのようにものを売りつづけるものもいた。そんな通りの光景の中を、来た道とは反対の方へ向かって歩きはじめた。途中、肌寒い空気の中、上着についているフードを目深にかぶり、すこしだけ震えている若い女の眼差しと僕の眼差しが交錯した。しかし、僕はつとめて表情も変えずその前を通りすぎた。

 雨が強くなりはじめた。雨粒が絶え間なく眼で確認できるようになった。遠くの方で雷が落ちる音が微かに聴こえた。

 先ほどの卓袱台が置いてあった店の前にさしかかった。まだ、あった。買え、ということなのだろう。雨が降りはじめ、並べていた商品を避難させるのに忙しそうな店主らしき女に値段交渉をする。

「四千円じゃだめ?」
 と、僕。
「これいいものなのよ」
 と、女。
「わかるけど、天板、割れてるよ」
 僕はその「割れ」がこういった古道具の味であることを承知の上で言った。たしかにこれはいいものだ。よくよく見ると、天板は薄っぺらい合板でもなんでもなく、欅の一枚板だ。裏側の状態も足も悪くない。
 すると女は、
「だめ。五千円ジャスト。負けない。これでも安いんだから」
「じゃあ、四千五百円。雨も降ってきたし、すぐもって帰るから」
「だめ、四千九百円」
 女は百円だけ負けてきた。良い兆候だ。落としどころが見えてきた。
「四千七百円。どう?」
「しょうがないか。でも、これいいものなのよ」
「ドモです」

 交渉成立。ちょっと女に押しこまれた感じはするが、これで五千円以下なら納得だ。SL1200-mk3を四千円で買ったとき以来の充実感があった。ただ、あのときは二千円くらい負けさせたが。

 僕は彼女に五千円札を差しだし、つりを受け取った。卓袱台の足をたたみ、右腕のなかに抱えて、また部屋のあるほうへ向かって歩き出した。

 「これ、来るぜ。片付けたほうがいいよ」という若い男の声が賑やかな通りのどこからともなく聴こえた。その男はなにか気配を感じ取ったのだろう。その気配を感じ取れない人間は店をひろげつづけている。気配を感じ取った人間がいる店は、いち早く店を畳みはじめている。僕は感じとれていたのだろうか。自分へ聞いてみた。

 雨が本格的に降り出した。通りを一気に濡らしていく。通りの色が鮮やかさを増していく。灰色の空が一瞬光って真白になり、雷鳴が近くに聴こえた。用意していた傘をさしはじめる人が通りに出はじめた。それは通りを歩きにくくした。

 僕はその人たちを避けながら、卓袱台を抱え縫うように通りを歩いた。身体も抱え込んだ卓袱台も濡らしながら、歩いた。梅雨の気配が姿をあらわしたような中を部屋へと向って。

 部屋に戻ると濡れた卓袱台を雑巾で拭った。そして足をもとに戻して、部屋の真ん中に置いてみた。足にずれが生じているのか、それとも床にずれが生じているのか定かではないが、卓袱台は安定せずにがたがたする。部屋を俯瞰してみると、それは窓際に置いてある文机と色あいが少々違うが、なんだか良い取り合わせだと思った。

 空は、それまで覆いかぶさっていた雲の蓋が所々外れて晴れ間が覗いてきたが、それでも雨はまだ幾分か強く降っていた。晴れた日の明るさの中を、光を受けてきらきらと照り映えながら降る雨粒。そんな外の様子を見ていたら休日の晴れた日、庭に水をまいているような錯覚に陥った。あいまいな天気に導かれて部屋の窓から差し込む光は、置いたばかりの卓袱台の天板の木目を照らして浮かびあがらせた。大きな将棋盤のように見えた。