a supper in a shower

 真夜中。
 夜空が光る。パッと黄色味がかった光があふれたかと思うと、次の瞬間には雷鳴が轟いた。それまで弱く、ふったりやんだりしていた雨が、いきなり間断なく落ちはじめた。商店街である部屋の前の通りから、徐々に人の話し声が消えていった。
 開けていた窓を閉める。部屋の窓には庇がついていない。だから雨が降れば否応なしに閉めざるをえない。風の通り道をふさいだ。普段から風通しの悪い部屋は、あっという間に熱がこもった。汗が肌から滲みだす。きている赤いTシャツがだんだん重くなっていく。
 ふたたび、稲妻が走り、何秒もしないうちに切れ味のするどい、しかし重い音が部屋に響いた。
 蕎麦を茹でる。ドラッグストアで買った四束百円也の茶蕎麦を二束、茹でる。熱気が台所にこもっていった。しかし、まだ、窓を開けることができないくらい雨は降っていた。
 葱をきざむ。それを白いカフェオレボウルの中へ、包丁の上にのせて放りこむ。そして生姜をその器の上からおろす。最後そこに既成品の二倍濃縮のそばつゆを入れ、同量の水を入れた。
 蕎麦が茹であがる。シンクに金属でできた網状のボウルを置き、そこに熱湯とともに緑灰色の蕎麦を流しこんだ。流しこみ終った瞬間、蕎麦湯を残しておくのを忘れたことを後悔した。水道水を強めに出し、蕎麦を洗い、水切りをした。そして、白い洋皿に盛った。
 部屋にある卓袱台の上にそれらを並べる。窓の外の雨はまだ勢いがあった。
 昨日買ったレモンから二切れを切りだす。デュラレクス製の大き目のコップに氷とレモンの輪切りを入れ、前の前の同居人が置いていったブリタを冷蔵庫から取りだし、水を入れた。ちょっとした贅沢。
 いただきます、と言う。
 蕎麦を食べはじめる。茹であがりの蕎麦の硬さはちょうど良かった。喉越しも悪くない。しかし、単調な味が延々と続くような気がした。実際、続いた。だが、食べ続けた。時々、レモン味の水を口に入れた。蕎麦がなくなったので、仕方なく蕎麦湯のかわりにコップの水を入れて、残ったそばつゆを飲み干した。微かにレモン風味が効いていた。
 ごちそうさま、と言う。誰に言っているのだろうと思った。偽善者である僕が食物に対して言うはずがない。その行為に意味がないことを知る。
 食べ終わる。食器をシンクに重ね、蛇口をひねって水を使い終わった食器に満たした。
 雨音に耳を澄ます。下の通りからトラックであろうディーゼルエンジンの音が聞こえた。その音が消えてから、雨が小降りになってきたことに気づいた。窓をすこしだけ開けてみた。ひんやりとした風が熱のこもった部屋に流れこんできた。ほっと一息ついた。
 雨があがったら、扇風機を窓際において外の冷ややかな空気で涼をとろうと思った。

 翌朝。
 ベランダへ出たら、非常用の梯子が入っている鉄製の赤い箱と壁のちょっとした隙間に結構な数の小枝があるのを知った。きっと、いつも来ている鳩が運んできたのだろう。それらの小枝は巣の形になりかけているかのように、円を描いて置かれている。僕がこの部屋から引っ越してしまったら、その跡は業者によって消し去られてしまうのだろう。まだ、もう少し、その枝の行方を見守ろうと思った。
 朝、鳩の声が聞こえてきたら、そのことを思うのだろう。

 夕方と夜のあいだ。
 駅前にあるベッカーズへ向った。家でも仕事ができるようなものだが、なぜか人のいるところに行きたくなった。それはかなり衝動的な感情である。自意識過剰がなせることである。
 そうした自分の感情に自分で付き合っているうちに、やっていることが行き詰ってきたような気がした。
 バックにラップトップを入れる。夕立に備えて折りたたみ傘を入れる。その小心振りに自分自身を哂う。
 カウンターでマニュアル通りの笑顔の対応を受ける。アイスコーヒー、Mサイズを注文した。二階に上がり、山手通りとは反対側の一番奥の席に着く。お盆という季節、日曜日の夜、店内にいる客は少ない。ちょうど良い酸素の濃さ。そんなことを思ってしまう。自意識過剰のなせる業。
 ラップトップをテーブルの上に出し、液晶を開いてスイッチを入れる。仕事をする。こうして食い扶持を稼ぐ。なんのことはない、単なる無能な奴隷だ。それしかできない。
 僕の自意識はさらに加速度を増す。
 斜め向いに資格勉強をする中年男がいる。正面に右の肩に刺青を穿った女と黒い服を着た女の二人組みがいる。隣には三十路前後と思われるカップル。女は絶えず携帯を茶色の皮製のバックから取り出してメールをチェックしている。声が小さいので話の内容は聞き取れないが。
 観察にすらなっていなかった。観察力が落ちている、いや、ないことに気付いた。情けない存在、という判断を自分に対して下した。
 われながら、よくもまぁこれ見よがしにここでこんなことをしているなと思った。羞恥心がない。それは決定的な僕の欠落だ。救いようがない。だからうまくいかない。僕を悩ませるすべては、この精神上の欠陥から始まっていることである。
 でも、おそらく、また同じことを繰り返すのだろう。
 前にいる黒い女が腕をせわしなく振りかざし相槌としながら、嬉々として正面の刺青女が話すキャバクラ昔話を聞き役と聞いている。何が楽しいのか。きっとその態度は振りだろう。人並みに優れた容姿をもつ刺青女にどこかで嫉妬しているのだろう。私生活をのぞいてみたい。何がその女に卑屈な態度を取らせるのか。何か、自分を見ているようだった。
 人間はその存在だけは平等なのだ。存在することだけ。だから、逆に、差別を生じる。どうしようもなく差別を生じる。存在から生じるものが相対的な立場にあるときにそれぞれが等価であるはずがない。そこに見える差異にありもしない価値を付加しなければ、人間集団は成立しないのだから。またそうしなければ、人間は生きていけないと思う。
 その差を求めざるをえない人間の性が人間を生かすのだし、そこに「性」を求める感情の疼きも現れてくる。その正反対のところに死を求める心の動きも出てくる。どちらも不完全な自分を充足させるものだから。

 そんなもんだよね。こんな駄文を書いて僕は時をやり過ごす。ばかじゃん。
 二十時をまわると店内が混みはじめてきた。さ、そろそろいく時間だ。どこへって。スーパーに決まっている。閉店前の慣例行事、商品処理のために張る半額シールを狙うのさ。

 人は様々な選択基準を持つ。それを、判断しなければならないことが起こる度に、受け入れていかなければならないのはわかっている。だけど、今だけはそうはいかないみたいだ。なぜだか、わからない。
 反対側へ上滑りしながら向っているような気がしてならない。自分のもつ感情や思考だけは止められない。そんなことを何度も、沁みるように、知る。
 その答えを教えてくれるのは。やめよう。意味ないし。