9.11.2001 —— 転換点

 もうすぐ、日本の9.11が明ける。

 

 ニューヨークで9.11の惨劇が起きたとき、僕は渋谷のドン・キホーテにいた。その当時、付き合っていたあの娘といた。その惨劇の映像を見たのは、ドン・キホーテテレヴィなどが売られていたフロアで、それら商品の画面を通してだった。

 

 異国の高層ビルディングの側面から黒煙が立ち上っているのを視認した。B級映画の一場面のようだった。つまり、この世の現実を写しとったものを観ることで生じる切迫感はなかった。

 

 僕らは、壊れてしまった古いヴィデオデッキの代わりを探していた。でも、適当なものが見つからず、「どうしようか」と途方に暮れていた。その当時、経営問題に揺れていた作り手を応援するつもりでSHARP製のものを探していたのだが、あいにく渋谷のドン・キホーテには無かった。そうこうするうちに、これ以上の時を費やして渋谷で快楽を伴った遊びを続けるのも不毛に思えてきたので、その当時の棲家があった中目黒へと変えることにした。

 

 いい具合に混みあっていた東横線を経由して棲家にたどりついた。ドン・キホーテのフロアに乱雑に並んでいたモニタ越しに見た情景が残像として脳内に残っており、その感覚が僕に部屋のテレヴィのスウィッチを入れさせた。ソニー製のトリニトロンが映し出した光景は、映画やドキュメンタリーといったある種の創作物では表現しきれないようなものだった。新たにハイジャックされた旅客機が突入し、ワールドトレードセンターの建造物は今にも崩れ落ちそうな状態だった。彼女と僕はその光景をトリニトロン越しに見守った。そして、そうこうするうちに、彼女はベットに潜り込んだ。

 

 僕は生来の小心者である。その時も、小心者の気質に由来しているからか、眠れぬ精神状態にあった。モニタをずっと凝視しつつづけた。一棟のビルディングが崩れ落ち、そして、もう一棟のビルディングも崩れ落ちた。大学時代に広く芸術学を学んでいた名残で、それらのビルディングの設計者が日系人であることを知っており、そういった学びの記憶もあいまって、複雑な思いにおちいった。僕はその光景を眼にしてから、宗教に基づく価値観の対立の末に命を散らした人間のこと、ハイジャッカーによりワールドトレードセンターに否応なく突入させられ、命を散らした乗客たちのことを想像する作業に囚われた。でも、何の答えも、当時の僕には導き出せなかった。

 

 その後、9.11の瞬間を共有した女の子とは別れた。そして、いまだに独身である。その当時の僕は、まさか50歳を家庭を持たない独身男として迎えるとは、夢想だにしなかった。ワールドトレードセンターに、ペンタゴンに、そしてシャンクスヴィルに散った人間たちの生命の重量とは比べものにはならないが、自らの生命のあり方もまた9.11を契機として、そのとき重大な転機を迎えていた。なぜなら、僕は誰かと家族になるというヒトとしてのポテンシャルが欠落している、「取るに足らない」どころではない「どうしようもない」人間なのだ、という自己認識を確固たるものにしたのだから。言い換えれば、ほとほと自らの存在の価値の無さに心底気づかされたのが、リアルタイムで経験した9.11であり、その墓標だったのだ。そして、その地点からたったのひとりぼっちで、自らの意志をほとんど介在させることなくほとんど惰性に近い人生をこの瞬間まで送ることになろうとは露にも思わなかった。その点に、一方の事実としてこの駄文を書き殴る僕は気づけもしなかったのだった。

 

 なんの快楽も介在しない、いわゆる青春の蹉跌的なる記憶であり、それに絡みとられて生きてしまうなんて、なんと性能の低い人間なのだろうか。今年の9.11はそんな悲しみにも似た感情をかきたてる日となった。

 

 r.i.p.