19.12.18 - 29.12.18

 夕餉にチキンラーメンを食すべく器を出そうとしたその刹那、隣に置いておいたお気に入りの茶碗をガス台のあるべき所へ落としてしまった。四散。やはり、よい器は割れるとき乾いた聞き心地の良い音をたてるものだ。

 チキンラーメンはうまかった。もちろん、卵入りだ。なんだか切ない年の瀬だ。

 音楽を聴いてセンチになるものではないな、と思う。佐藤伸治は、かれこれ二十年以上聴き続けている歌の中でこう言った。「人生は大げさなものではない」と。こうも言った。「ナイーヴな気持ちなんかにゃならない」と。

 そう。いつだってフィッシュマンズの歌は僕の真逆のほうで鳴っている。南極と北極。日本とブラジル。つむじと土踏まず。ThinkPadMac。女と男。君と僕――。佐藤伸治はベターハーフの存在を前提に言葉を紡いでいたが、僕はそうではない。

 なんだか切ない年の瀬だ。

28.11.18-10.12.18

 やっと秋になったと思ったら、にわかに夏日となり、冬は遠いなとうんざりしていたら、ここのところの冷え込み。ちょっとだけ、僕はうれしい。

 ピート・シェリーが死んだ。

 また時代が僕の過去を引き摺りながらあずかり知らぬ方へと進んだ。バズコックスはもう観られない。彼のソロも。

 僕の親父が死んだ歳より十も若いじゃないか。

 R.I.P. Pete Shelley 17.04.55 - 6.12.18, very special thanks for music and memories










 もう一度、観たかった。xxx

 ――合掌。

2018.11.27

 今日からコーヒーの淹れ方を、水出しからコーヒーメーカーを使ったドリップに変更する。いくら東北人だからといって、ここのところ冷たいコーヒーばかり飲んでいたら、さすがに暖かいコーヒーを飲みたくなるのも自明の理であるような気がする。

 先日、普段持ち歩いているカメラが壊れた? のか、調子を崩したのか定かではないのだが、モノクロモードで写真が撮れなくなってしまった。カラーモードはまだ生きているので、これからはカラー専用機として余生を過ごしてもらおうと思う。そもそも、ツァイスレンズを奢ったSONYのDSC100M3でモノクロを撮ろうとするのは罰当たりだと、自分でも思う。

 したがって、モノクロはCANONのG7X(first)を使う。モノクロの階調感はこちらの方がよい。ただ、モノとしての所有欲を満たしてくれるのは、SONYのカメラなのかな、とも思う。

 ――コンデジごときであ~だこ~だもないもんだ。自分、終わっている。

 さて、明日は朝から北関東の予備校で小論文の授業がある。いま現在、提出課題の添削中である。終わりが見えない。上野駅で新幹線に乗車するまでにはなんとか終わらせたいものだが……。自分、ホント、仕事ができない、うだつの上がらない奴だと日々再確認する。

 僕を生きられるのは僕しかいないが、ここ最近、僕は僕を演じることに強い疲労感を覚えるようになった。だからか、なぜか、フィッシュマンズが耳道に響く。頭の真ん中で歌っている。




 その昔、十二年前、『フィッシュマンズ全書』(FISHMANS Chronicle)小野島大:編(小学館)の編集者が、僕の駄文を拾い上げ、本に載せてくれました。今でも感謝しています。――p.343~です。

out of order

 プリンターの調子が、どうにもよくない。一回のプリントアウトごとに電源を落とさないと、印刷がままならない。一度稼働し終えると、すぐにエラーの警告音が鳴り、エラーメッセージがモノクロのディスプレイに浮かぶ。

 はてさて、どうしたものやら。着たきり雀の身ながら、仕事のために新しいプリンターを導入せざるをえなくなった。

 B4とA3サイズの紙を扱う頻度が、ここのところ増えてきている。加えて、ファクス機能も備えていないとお話にならない――ブラザー製の複合機か、はたまたエプソン製の複合機か。ウェブ上に漂っている情報は、礼賛から非難、はたまた悔恨まで、百花繚乱だ。これでは参考にならない。

 ええい、ままよ。

09-29.10.2018

 しばらくこのたわいもない日記を書く行為から距離をとっていた時間の向こう、何のことはない、あの油地獄の夏は過ぎ去っていったみたいだ。部屋に居ようが街に居ようが、秋のもつさらりとした空気感が僕の身体にまとわりついてくるようになっていた。まったくもって、悦ばしい。

 とはいうものの、相も変わらず僕の心は閉じ加減である。ミクロン単位で動いたり、その一方ではフリーズしたりと、アンコントローラブルで難儀なものに一喜一憂、いや、一喜百憂ぐらいしつつ、よんどころなき様々な事情から減らしてしまった仕事に費やすはずだった時間のほぼほぼを、空虚な空間に揺蕩うように過ごしている。

 さっきまで、この日記に書こうと念じていた思いは、これを書き始めた途端、どこかへと消失したみたいだ。

 とりあえずいえるのは、今年の春先にあった冬物のバーゲンでしこたま仕入れた外套類をそろそろ着始めようかな、といったようなさらにいたってどうでもいいことだ。ひとシーズン分周回遅れの「モード(笑)」を着させたら、人は僕のことをおそらくこのニッポンで十指に数えてくれるではないかと思う。

 いまInterFMは、90年代のU.K.モノを鳴らしている。


 センチになる。泣きそうだ。こんなB.G.M.は、その頃の僕に起こっていたことを、それも忘れてしまいことを、頭の中のどこかからか引っ張り出してくる。嫌ならラジオをチューニングし直すか、アンプとチューナーのスイッチを切ればよいのだが――何をか思い出してそれを生き直してみるのも、ことさら辛い行為ではあるが、存外いまを生きることに不可欠な身振りなのではないか――と独り言ちてみる。

 これは、そろそろ、着れそうだな。木曜日、宇都宮へ行くときにでも、着ていこうか。

イメージ 1

2018.10.05-08

 近頃、僕は「〇〇・オ・レ」ものに少しやられている。
 水出しで淹れた冷たいコーヒーと、これまた冷えた牛乳に少し多めのきび砂糖を投入して甘ったるいアイス・カフェオレに。
 セイロンティーも水出しで淹れて、冷製ロイヤルミルクティーに。
 また、ほうじ茶をこれも水出しで淹れて、冷製ほうじ茶オレに。

 どれも、美味。さすがに歳も歳なので、一般的な牛乳をそのまま摂取するとお腹がギュルギュルしはじめるので、予防として正露丸を多めに飲んでから、オレ類を飲むようにしている。

 ただ、玄米茶オレは、ダメだった。

 以前仕入れた抹茶が残っているのだが、抹茶オレはポピュラーなので手を伸ばさない。次は日本茶界のオリジンである煎茶でオレしてみよう。

 もちろん、水出しで。

2018.09.04-10.03

 対人恐怖心性、発動中。ここのところ、ずっと。

 この歳になっても、まだこれは克服できていない。子どもの時のまま。なぜだろう、乗り越えようとはしているのだけれど。情けない限り。

 ――壁の高さ、向こうが見えない。

 そして、分厚い。密度も高い。武鑓じゃダメみたいだ。もう何本折ったのだろう。

 カメラを持てない。副作用だ。ファインダーから世界を見ようだなんて、これっぽちも思わない。

 そんなこんなの繰り返し。今日はその繰り返しの隙間に靴磨きをした。ただただ疲れただけだったが、靴を磨ける程度には生活しているのだな、と独り言ちてみた。

2018.09.04-05

 朝、曇天、弱い雨も強くなり切れない風が吹く。ゴミを集積所に出してからしばらくして、叩きつけるような雨が降ってきた。これもまた、台風21号の影響なのだろうか。

 昨日の、何もない親父の七回目の命日もすぎて、どうにも人間は他者の不在を織り込んでいきながら、その生命を死へと永らえさせる動物なのだなと、あらためて思い返す。




 本日予定されていた仕事はすべて閉講になる。仕事がほんのばかし遅れ気味だったから、天へ、自然へ、ほんの少しばかりの感謝をしたのはいうまでもない。

 寝床に入る。が、約七十五分ごとに目覚める。明日が思いやられる。

 ほとんど寝た記憶がない朝、小さな地震で部屋が揺れる。チューナーの上に積み重ねっぱなしのCDのコラムとスピーカーの上に、これまた積み重ねっぱなしのCDのコラム、そして大きくて黒いデスクライトがゆるりゆるりと揺れた。

 そろそろ、ゴミを集積所へもっていく時間だ。着替えるのが面倒くさいが、そう生まれついてしまったのだから、こんな時に自分を呪うのは憚られる。今朝は可燃ゴミの日。最近はコーヒーとお茶の「水出しで淹れる」ことにちょっと心動かされているので、ゴミ袋の中身はコーヒーの使用後の粉と出がらしの御茶葉でいっぱいだ。僕は自分がどれだけコーヒーとお茶を飲んでいるのか少しだけ考え始めたが、ちょっとで挫折した。

 台風21号はそそくさと北へ流れていった。

 eplusからメールあり。予約していたティーンエイジファンクラブのライヴのチケットが無事当選した、という知らせ。とはいえ、素直に喜べない複雑な意識の自分がいる。