a person in a park

 星が瞬くことを全く許さない厚い雲から今にも雪が落ちてきそうな夜、小さな公園を横切りそして通り抜けた昨日の帰り道。いつものように猫たちに会いたくて足を向けたのだが、今日は立ち止まらず、猫たちを横目に見ながら通り抜けた。
 その晩は僕とは別の人がその公園を支配していたから、通り抜けた。すこしうらぶれた感のある妙齢の女性が一人、公園の猫たちの相手をしていた。いつも見る顔だがついぞ話をしたことはない。
 この時間、窓に灯る光の数だけ家族の団欒があるなか、その隙間にひっそりとある薄暗い公園で彼女は猫たちと会話していた。家族をもっていてもおかしくないような年頃の女性がひとりそんな公園で猫たちと会話をするということは、僕の想像力へ針を打つようにちくちくと刺激を与える。

 彼女のほうが猫たちに相手にされているのかもしれない。ものいわず、餌を与える自分に従順にまとわりつく猫と過ごす時間から、自らの人生に起きた様々なことから抜け出す隙間をもらっているのだろう。
 好きだった男との関係。台本どおりには行かない結婚生活。あるいは子供との別れ。望まない病。借金。年老いた親。仕事場での心を失うような出来事の数々。我が身の寄る辺を失うような様々なこと。いまだ男性中心の社会構造の中での女性だからといって押し付けられた理不尽な役割。
 猫たちとの関係に世界に対する生き辛さを仮託してやりすごそうとしているのかもしれない。その行為は「癒し」というには重過ぎる背中を僕に見せる。

 それは僕自身の姿を彼女の姿へ投影した想いでもある。それはあまりにも恣意的な想像。全く当たっていないだろうが、想像は自由だ。その内容がどんなに貧困であれ。
 僕はいつも公園の猫に会いに行くと言っておきながらその実、猫たちに相手をしてもらいたくて足を向けている。そうして自分勝手に心を宥めようとする。しかし、彼女の姿を目の当たりにすると僕の背負っているものはまだまだ軽いものだと感じてしまう。
 だからといって、彼女に対して僕は何もできない。彼女が作り上げている公園の野良猫たちとの物語が支配する空間から黙って立ち去ること以外、何もできない。できるはずがない。

 公園の砂場で鯖虎の猫が白い小さなビニール袋と戯れている。その足に袋を引っ掛けては振りほどこうと小さく跳ねながら砂場をぐるぐると回り続ける。そして袋を振りほどくとまた猫は同じことを繰り返し、足に再び絡ませる。
 僕も猫と同じく、端から見れば滑稽なことをいつでもどこでもしているのだろう。
 そしてその公園の女性も。そのとき公園にいた人間二人は、たとえそれが意味のないことであっても今まで繰り返し続けてきたのだろう。だから僕らはそのときその公園にいたのだ。
 きっとこれからも繰り返し続ける。

― さあて、洗濯しにコインランドリーへ行こう。