i think about the future of snapshots aesthetic.

【写真表現】『東新宿』より from "baruboranee"
 
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 2000年代に突入してから、「個人情報」とやらがとかく厳しく他者によって公に晒されることに拒否反応を示すような扱われ方がなされるようになった。たしかに情報は、2000年代、ミレニアム以前の牧歌的な趣さえ感じさせる速さでやり取りされるものではなくなった。情報、特に個人に関する情報、被写体の顔の造作、表情、身体的特徴、身振り、着ている服、存在する場所、性差、年齢や世代など、おおよそ際限のなかった世界にいる人間を写し出してきたスナップ写真は、人間の身体が身につけていた〈情報〉を撮影者の視線と身体の動きによって意図されたもののよう印画紙の上に写し出された〈映像〉によって価値が生じてさせていた。無論、もっぱら自然を相手にする撮影者(写真家というべきか)もいた。しかし、総じて魅力ある写真、言い換えれば、写真を見る人間がそこに己の姿を映し出されてはいないか確かめることによって、印画紙や印刷された映像の上に、逆説的に自分の何かが映り込んでやしないかと、のっぴきならぬ関係性の上に成り立っていた撮影者の眼差しに代表される身体と切り取った世界の断片を焼き込んだプリント(写真)とそれを見る者の三者の「共犯関係」が人間存在を写真によって表現するスナップ写真を世界と人間の内奥に迫る芸術の一手法たらしめていた。
 
 スナップ写真は見る者に対して、意識的、無意識的にかかわらず、自らの現在地を知る体験を強いる。自分より劣っていると思しき人間が映し出されて入れば優越感を抱き、そして自分の社会的位置を確認した。反対に自分の存在より優越しているように見える被写体が写し出されている写真には劣等感を抱き、また、時に街の中で映し出される社会の枠組みを軽々と飛び越えている超越者と写真を通して面と向かえば、己の存在の卑小さを感じ取ったことだろう。そのような関係が許されていたのが2000年代までと言えるだろう。
 
 その後、急激に情報化が進行した都市では、直接的な人間と人間の接触の機会が奪われていった。情報の扱い方ひとつで人をも殺せる社会が到来したのである。そんな社会においては、情報化社会に対して自分に関する情報をコントロールしなければならない状況に人々は置かれたのだった。写真も例外ではない。特にスナップ写真という表現手法には致命的ともいえる足枷が課せられた。

 他者の「顔」を写すことは難しくなった。〈顔〉は〈人格の中心、表れ〉とも言える被写体である。アイデンティティの根幹部分を成す部位でもある。これを写しづらくなったのは世界の中に人間存在を見出して、その世界観ごと人間を捉え、ひと、あるいは人間とは何かをスナップ写真という手法で表現してきた撮影者、写真家にとっては袋小路に追い込まれたようなものである。しかも、情報化社会の進展と複雑化は火を見るような速さでスタンダード化していく。「公の人」ではない〈市井の人〉を追い続けてきた撮影者はこの世界において、この街において、何を撮るべきなのか逡巡しはじめるのである。
 

 歴史上、時代や社会の変革期には芸術もまた変革期を迎えるのである。写真は生まれて間もない芸術メディアだが、発明から百五十年も経たぬうちに魅力的な表現法の大きな柱の一つを、社会の変革によって失いかけているのである。
自然が芸術として成立するためには、それを直接的に見る人間のまなざしがなければならない。自然を撮った写真は、極限を撮影したものを除いては単なる「記録」となってしまう。写真は「絵葉書の絵画」と同じ立ち位置に立たなければならなくなる。もともと写真が持つ機能である「記録媒体」(家族写真や卒業写真、証明写真など)としてしか人々が写真を見なくなってしまえば、これまで幾多の写真家たちが積み上げてきた芸術としての写真が持つ意味は書き換えられなければならない事態に遭遇することになる。

 
 ここに二枚の写真がある。いずれも夜の舗道を歩く女と男がそれぞれ写った写真である。女はヴィヴィッドな色の組み合わせをしたスパッツを身につけ、安定性を欠くようなアンクル丈のブーツを履いている。女の性格や個性、生活が見えてくるようだ。これからどこへ向かうのだろうか。一方、男はステテコか短パンか判然とはしないが、膝丈の衣服を身につけ、ゴム製のつっかけ、スリッパを履いている。この写真が撮られた場所から男の住まいはそう遠くではないだろう。酒場で一杯引っかけてから、酔い覚まし、夕涼みがてら舗道を歩いているのだろうか。
 
 私たちがスナップ写真を見る理由は、こういった〈人格の座〉を奪われた状態の人間の身体の動きや身体が纏っているもの、身につけているものを記号として捉えるという見る、そして捉えた記号から考え、意味を生成していくという作業を行うことにあるのではないか。つまり、身体性を抜きにしては世界と人間を意味づけられないということを現代のスナップ写真は訴えており、我々はスナップ写真を身体性を念頭に読まなければならないのである。
 
 個人的評価はともかく、やはり〈人格の座〉である顔を写すことはできない。顔を写し情報メディア上に公開した途端、写真上の「情報」は水がひび割れに染み込み割れ目を広げてさらに広がりを見せるように、個人を特定する情報が社会の中に溢れ出すきっかけとなる。ほんの数十年前までプライヴァシーがほとんど考慮されない、集団性の高い人間関係を基礎とした社会であり、われわれはそこに違和感なく暮らして、いや生きていた。それはすべからく身体を基にしていた。だが、〈人格の座〉である顔を表現の中心に置けない時代が到来したのである。では、このような時代、そして将来はさらに規制の厳しさが増すであろう個人情報の座である人間を撮れないスナップ表現を用いようとする写真家は果たしてどうなるのだろうか。
 
 ここで写真に対する評価に戻るが、もっと〈足〉に寄ってほしかった、と私は思う。そうすれば、〈足〉から人間がこれ以上に人間の存在が垣間見れたかもしれない。この二枚のスナップは、対象から距離をおきすぎ、二枚とも左上に立ち話をする人の足が写り込んでいる。これが好い方に作用するのかしないのかは見る人の感想、判断次第だが、俯瞰の視線が強く出てしまっているので写真的には大変惜しい。だが、これもスナップがその手法によりはじめから抱えている性質である。スナップ写真はその中にインシデントを内包している。写真家が狙いに沿って写真家の意図しない偶然性を伴った出来事が画面に写り込むことは日常茶飯事である。それが恒常的に画面に写っているのならば、写真を撮る行為は撮影者の定点観察だと解釈できないことはない。
 
 一時代前には、スナップを自らの表現手法として選び取った写真家たちにより、市井の人々をはじめとしたすべての社会的階層に属する人間の〈顔〉から人間の存在が捉えられてきた。そして、ファインダー越しに世界と人間を見つめ、対象を探りながら、時には抉りながら、また自ら傷つきながら、この世界に人間の存在の意味を露光と印画紙を通じて定着させようとした写真家たちによって膨大な量のスナップ写真が残された。それらは社会研究における重要な資料となり、その中には芸術に昇華した作品さえある。古くはアウグスト・ザンダーの〈衣服〉という身体を包む〈顔〉に着眼したことにはじまり、アンリ=カルティエブレッソンが写した世界の中の軽やかな人間の身体性、リー・フリードランダー、ナン・ゴールディン、ユージン・スミスらの文化、社会と人間との関係性の中で世界をスナップしていった。ダイアン・アーバスにいたっては被写体を通じて自らの精神を傷つけ、その結果この世界から自ら「退場」した。彼女にとって選んだ被写体を世界に位置付ける作業は自らの深奥を見つめざるを得ない作業でもあったのだった。
 
 日本においても木村伊兵衛の街中の人物模様を写し取ったスナップ写真や歌舞伎役者のスナップには世界と人間の意味が活写されている。そこには、役者は身体が資本であるように、身体性は不可欠な要素としてある。1960年代後半の"Provoke"時代の中平卓馬は写真撮影の技術の習得はそこそこに、世界と人間を切り撮り続け、強引に印画紙の上に〈記録〉していった。当時の彼の著作に『来るべき言葉のために』という本があるが、タイトルよろしく世界と人間の結びつきを暴き立て、意味の根源である言葉を生み出す資料としようと試みた(残念ながら「言葉」は獲得できず、その後の彼は視線の身体性をもとに写真を撮り続けていくことになる)森山大道は街というフィールドで35㎜の小型カメラを利用して、街と人間とを同時に荒々しく、そして強引にフィルム上に剥ぎ取って印画紙という自らの〈世界〉に再び激しさを伴い焼き付けることで意味を獲得しようとした。このような身体性に基づく世界と人間、そして社会への眼差しは荒木経惟高梨豊のスナップ写真作品にも見て取ることができる。高梨豊に『地名論」というシリーズがある。このシリーズは土地と地名の関係性に着目してそれを写し出そうとした写真を集めたものだが、私には、高梨が意識的であれ無意識的であれ、土地や街を身体としてみなし、地名を意味を創出する根源である言葉として置き換えられると考え、『地名論』を見直してみると、やはりそこには世界と人間の関係性から生成する意味を言葉に置き換えて理解するというシステムがあるような気がしてならない。
 
 日本では、先進国の中においては最後発で女性の社会進出が本格化していき、その結果、女という性は「家父長主義」「性別役割分業」といったくびきから解放され、社会内に多数の生き方の選択肢を得た。その必然としてスナップ写真は女性のものとなっていく。日本という世界の中に女という性の新しい意味を定着させる必要にせまられたからだ。そして、長島友里枝は自分の家族の構成員を裸にし撮影した。それは、それまで家族に与えられてきた意味を根底から覆すものであった。それは性差によって役割を与えられてきた時代の女性には見えづらかったであろう世界観である。HIROMIXはサブ・カルチャー、といっても、いわゆる「オタク」が好む二次元の中に展開される文化ではない、モッズやガレージ・ロック、バンドなど非常に小さく、限られた世界に飛び出していき、その世界内の人間を文化が持つ魅力とともに活写した。初期の彼女の写真にはそんな小さな世界が写し出されていたが、外へ身体ごと飛び出していかなければそこには参加できない、経験できない、そして自分の手で紡ぎ出すことができない文化内の人間を対象にしたのは暗示的である。その後、梅佳代などの写真家が登場し、人間と世界を性差を超えて新たな意味を与え、結びつけていったのだった……。
 
 これからの時代は、人間と人間が対峙するようなスナップ写真ではなく、社会の要請を聞くフリをしながら、その実、記号的に世界、街に人間を捉え、人間の身体が纏っている記号性に満ちた表層のあり方を見るために写真を撮り、そのプリントから社会の欺瞞性を見抜こうとし、そしてそれらを膨大な量の資料群として、その美しさを享受する方向へと行くのではないだろうか。
 
 〈写真の量的芸術性〉
 
 そのようにスナップ写真のもつ意味が変性するであろう時代はもうやってきている。私たちはそのような時代性の中で写真家たちの新たな視線と身振りを目の当たりにしつつ、写真を読み、新たな意味=身体性を獲得するのである。
 
 thanks for your snapshots, nee.
porcupine_six