a mother

 今日は母の日(書いている時点では昨日だが)である。僕は幼いときに母親と別れてしまったから、母の日に母を祝った経験がない。三十九年間、母と母の日とは無縁の生活を送ってきた。

 だが、今年の母の日、僕は父の死を母に伝えた。手紙を送って。父が亡くなり、そうこうするうちに三回忌まで執り行ったこともあわせて伝えた。その手紙が母の元に届くのが昨日、土曜日になるようにタイミングをはかり投函した。今年、僕は生活を送る上で環境に大きな変化があったから、今になってやっと母に対して父の死を伝える心境になったのかもしれない。

 母の住所は親父を捨てて走った再婚相手が経営する薬局であることを叔父から知らされていたので、住所を調べて、音信を伝えるのは手紙という形をとった。ただ、別れてからいままでずっと音信不通だった、血は繋がっているが他家の子どもとなってしまった男が送った手紙が、無事母の手に渡ってしたためた文書を読んでくれたかどうかは分からない。返信はないだろうから。きっと。

 日曜日は母の日ということで、日曜日の着指定で紫色のカーネーションの鉢植を母の元に贈った。これも母の手まで届いているのかどうか定かではないが、僕は、母という産みの親に対して、生まれて初めて母の日らしいことをした。というよりも、したつもりだ。案外、気恥ずかしいものである。

 紫色のカーネーション花言葉は「誇り」「気品」である。母は父を差し置いて好きになった相手の男といままで「誇り」のもてる人生を送ってきたのだろうか。そして、いまでも「気品」を保っているだろうか。それは分からない。紫色のカーネーションのもう一面、西洋での花言葉の意味は❝capriciousness(気まぐれ)❞❝changeable(変わりやすい)❞だから、母はまた別の男に惚れて、僕の与り知らぬ所で、人生を歩んでいるのかもしれない。

 母の誕生日は忘れた。干支も忘れた。だから年齢も正しくは分からない。それでも、僕はいままで母の存在を思い起こさない日は一日もなかった。親父以外の男に惚れてその元へ走ろうが、捨てられようが、そして記憶の奥のそのまた奥の方へ僕の存在が押し込められようが、僕の方からすれば、血の繋がりはそう簡単に断ち切れないものだからだ。

 こうして母は他家の人間になってしまったけれども、僕の母ではなくなっているのだけれども、小学校に入る前の幼児の頃から男手一つで僕を育て、東京の私立大学まで出してくれた親父の死を母に伝えなければならないという思いに向き合えたから、僕は母の日を利用してみたんだ。

 血の半分がつながっている、まだ会ったことのない異父兄弟という人たちに会ってみたいなと思う。その時、どのような思いで、どのような話をして、どのように心を通わせることになるのだろう。そんな機会は訪れっこないだろうけれども。