a life is a athletic-land game

 昨日から2日間ぶっ通しで某予備校のテキストを作成している。
 祭りの騒音は何とか乗り切ったが、肝心のテキストはまだ完成を見ない。
 4月以来久しぶりの「1日丸々休み」を実感できるかな、と思ったがそうはいかない。
 仕事は待ってくれないのだ。
 計画性のなさも災いする。
 アホ私立文学部のあほアタマは、本当に使えない役立たずだ。
 ま、受験勉強に手を抜いたのだから、当然の報い。それが、今の状況。
 ということで、3ヶ月以上まともな休み、なし。例外なく何らかの形で毎日、半日以上は仕事している。
 逆に考えれば、頭の悪い救いようのない貧乏人にとってはいいことだ。
 「貧乏暇なし」を地で行っている。
 ありがたいことだ。
 ペイはゼロで、出ないけど。それが次の仕事へ繋がるだけマシ。
 「やりたい仕事」がそういう形であれば仕方がない。
 僕があわせるしかない。
 やりたい仕事をハードにしつつ金銭的な面での生活も少しは楽に、と考えていた自分。
 ほんの少しでも見合ったペイが欲しいと思っていた自分。
 しかし、無能さはそれを許さなかった。
 まだ、可能性のある他の予備校には書類を出すけれどね。
 そうしていないと、すべてが止まってしまう。

 色々なものを抱え込んでしまった。昔とは量が違う。
 止まったら、すべて終了。
 逃げ道は、ない。

 じゃ、佐川さんで働けって。
 僕を知っている人は分かるだろうけど、ね…。

 今日は、何度シャワーを浴びただろうか。
 一昨日に無理矢理暇を作ってエアコン清浄スプレーをしておいて良かった。
 エアコンが使えなかったら、暑さで発狂していた。確実に。

 仕事が全く前に進まず、しょうもなくなったので、コンビニへ行く。
 外に出る。暑い。東京の夜だ。
 肌にへばりつく湿気を含んだ空気が、何か懐かしい気がする。
 そんなことも、あんなこともあったけ。
 一瞬、昔あった事々が頭の中を駆け巡る。
 あの頃の悲しみは甘美だ。嫉妬してしまう。
 いつでも過去を振り返れば、どんな記憶だってそうなるのだろうけど。

 ひさしぶりに米を食べようと思って、麦飯の弁当を買う。
 ビールの誘惑には勝てず、サッポロ黒ラベルを1本。
 サントリーとアサヒは絶対に飲まない。
 特にサントリーは最悪だ。
 昔聞いた、当時のサントリー社長が発した「東北人=熊襲発言」が僕の中には残っている。
 印象ではない。発言そのものが残っている。
 ええ、東北は文化的後進地ですよ。あなたたちの基準から見れば。遅れていますよ。
 それが、何か?
 あなたたちは東北を「イコール自然」として残したいようだけれども、まぁこれは東京も含めてだが、あなたたちのような下品な文化はありませんから。「熊襲」だなんて、とても私たちの文化レヴェルでは口にしませんから。
 なんてことに近いことを当時思ったような気がする。
 だから、大阪の芸人さんも、本物と思わせる芸を持っている人じゃないと受け付けない。
 今思えば、「大阪・関西≒アメリカ・ヨーロッパ vs 東北≒非欧米」という図式と変わらない。
 近似値でもないか。同じだ。
 日本も多文化が混在しているのである。それは、江戸時代までの日本の国家・社会システムを見ればすぐに分かる。
 それを「単一人種・単一文化≒美しい国・日本」と勘違いしているひとが、果たして今、この国の舵取りをしている。
 学歴通りのバカ。大学は違うけど、僕と一緒のタイプのバカ。レヴェルなりのバカ。
 脳みその質において、学歴や偏差値は嘘をつかない場合が多い。
 今は違うかもしれないが。
 少なくとも、僕の世代までは、それは言える。

 横道に逸れた。
 それから、関西系のメーカーは極力飲まないようにしている。
 アサヒはとんだとばっちりを食ったようなものだ。
 それ以来、関西系メーカーのビールは何を飲んでも不味いと感じるようになってしまった。
 ブルジョアジーだけが養成できるようなまともな舌を持っていない僕は、
 気分次第でものを食べ、飲むのだ。
 誰かと飲むときは、外面かまして「美味い/不味い」なんて評するが、実際のところ、味なんてわかりはしない。
 誰と食べ、飲むかで僕の味覚は決まる。
 ま、どうでも良いことだが。

 最後に残されたアイデンティティが疼く。

 ソイジョイを大量に買い込む。
 食欲もそれほどないので、薬を飲むために1日23本食せれば十分である。
 家仕事が溜まっているので、外に出ている暇がそれほどないこともある。
 外仕事では、どちらにしろ食べている暇なんてないし。
 これで5日は大丈夫。
 とはいっても、病院だけは行くが。
 火曜は仕事で遠くへ行くし。
 役所にも行かなければ。
 でも、国民健康保険の滞納に払う金をどうやって用意するかだ。
 特別区民税も同様。
 別な意味で頭が痛い。
 しょうがない。何も食わずに払うか。
 薬なしで生きていくか。
 10月までの我慢だ。
 そこまで我慢すれば、いくらか金が入る。

 何にもない文章だ。
 単なる、愚痴。
 でも、愚痴れるのはここだけ。
 誰かにこれを言えば、
 「あんたがダラしないだけじゃん」「ストレス発散といって何か買っているあんたが悪い」
 で終了だからね。
 自分でもそう思う。

 いやな気分になった方々へ。
 本当にごめんなさい。
 これが、今の僕です。
 
 あと、1日あれば何とか…、ならないな。
 明後日の仕事の準備を明日するから、いまの仕事は20時間は中断。
 締め切り迫る気は焦る。こんなはずではなかったに。
 こんなCMソングが昔あったな。
 アスレチック・ランド・ゲーム。
 まさに人生、アスレチック・ランド。

 大学の学科の後輩の何人かが、次々と文学賞を獲っている。
 僕は何を書いても、ダメ。
 同級生や昔一緒にやっていた奴らは今、フジロックに出ている。
 あ、もう終わったか。
 僕は今の仕事も満足にできやしない。
 この程度の悩みで四苦八苦。
 みんな僕以上のハードルを乗り越えて、何かを創りあげているのに。
 ふふふ。僕の能力と人生ってこんなものなんだなぁ。
 何を為しても程度が低すぎて、世間には評価されない。
 当たり前。
 試験に落ちるくらいなんだもの。
 評価してもらおうなんておこがましい。
 恥ずかしい。
 通時的事実は繰り返す。
 その程度のことしか為せない人間が、偉そうに生徒さんへ講義をする。
 時々、自分の為すこの程度の講義で金を貰って良いのかとも思ってしまう。

 「じゃ、やめたら」

 ほんと、そうだよね。わかっているよ。
 あきらめる、そして、消える覚悟がないだけだ。
 そこまでの無能さ、だから。
 
 僕は小坂忠ボブ・ディランを聴いてしみじみ人生を振り返ることしかできない。
 そんな時、ふと離れたところから自分を眺めると、ただただ笑えてしまう。
 嘲笑。
 今、僕が笑えるとしたら、そんな時だけ。
 泣くことは、ない。もう、二度とないだろう。
 本当は音楽なんて聴きたくないし、何にも見たくない。
 だけど、聴いてしまう。
 自分を哂うために聴いてしまう。
 見ようとしてしまう。
 シャッターを切る。
 そこに写しだされているのは、この世界に対する自分の能力の限界と無力感だ。
 そして、それを見て、また哂う。

 デジタルは良い。すぐに映像を、とらえたものを、世界を消去できるからだ。
 
 さ、ごみ捨てに行こう。
 無能な自分もついでに捨てられたらいいのにね。
 ぽい。

 捨てられるものは、自分の身体以外にない。
 他にもあれば良いのに。

 せめて、尾形亀之助のような脳みそ、世界への眼が欲しかった。
 できれば、タモリのような脳みその質が欲しかったな。
 この向こうにあるのだろうか。
 そこまでたどり着ける体力はあるのだろうか。
 ないものねだりか。

 僕は燃えるゴミなのだろうか、燃えないゴミなのだろうか。
 可燃と不燃。
 後者。きっと。
 前者なら燃える炎が放つ光によって誰かへ何かが届いているはずだ。
 きっと。


 こんな浅い悩みを、こんなメール文体で書いていること自体、アホだ。
 こういうところでこんな文を書いている時点でダメなのだ。
 これも、わかっている。
 でも、どうにもならないんだな。これが。
 情けない。