the afterglow burns down the whole world.

 今日は何もない日曜日だ。曇り空。
 残っている仕事も幾分かあるが、今はしたくないのでしない。やる気がおこらないのに無理にしてもしかたがない。まるで子どもみたいだが。やっと手に入れた無駄に過ごせる時間は有効に無駄にさせてもらうことにする。

 何をか書きたいのだがまとまらない。頭の中でも胸の中でも身体の中でも。何もまとまらない。

 そういえばまだ今日は何も食べていなかった。遅い朝に起きだしてコーヒーを2杯分淹れてそれっきりだ。いま食べたいものもないし、腹も要求していない。食べなければならないものも何もない。貧乏学生なら食べたいのに、金がなくて食べられないのだから話の書きようもあるだろう。しかし、僕の場合は、確かに金はないが、どうでもいいから食べないだけだからどうにもしようがないのだ。

 昨晩は『ER』を見るのを忘れた。いま思い出すくらいなのだから見ても見なくてもどちらでもかまわないのだが、先週の話でグリーンの最期を見て泣いてしまったので、新たな展開の端緒となる話を見逃したことが少しだけ心に引っ掛かっている。

 とりたてて個人的に事件も事故もない。とてもいいことだ。しかし、何もないのはそれはそれでさみしい、なんて書く気もない。平穏な空気が漂い続けることはとてもいいことだ。いつも冒険家でありつづけることなんてできないのだから。

 金曜日の夕焼けはやけに赤かったことを思い出した。雨上がりの夕焼けはとても綺麗だ。電車の窓から見ていてそう思った。
 その日は仕事の都合で立川から千葉に移動しなければいけない日だったのだが、中央線が人身事故で止まってしまったのだ。武蔵境の踏切で人を撥ねたらしい。
 当然、到着していなければならない時刻には間に合わず、遅れて千葉での仕事を始めることになった。
ちょうど電車は国分寺で停車したので、いま話題の西武線を使って新宿にでることになった。遠回り。でも目的地にはつながっている。
 小平から高田馬場へ向う際に見える風景はあからさまだ。空白の多い風景がどんどん凝縮して空が消えていくさまが手にとるようにわかる。そんな風景を見ながらだと電車のスピードまで違って感じるから不思議だ。車内にいる人の細かな動きのテンポまで変わって見える。
 そうこうして東京駅まで辿りつき地下深くまで降り総武線快速にようやく乗り込めたわけだが、夕焼けはその車内から見ることになった。
 血の色。さっきあった事故の死者の心の色。自殺か事故かは人の死因を調べる趣味もそれほどないのでわからないが、その死者の魂が燃えてこの世界に広がっていくような感覚を覚えた。
 恨んでいる世界を自分の生命をもって焼き尽くさんとする色。死んでしまったことへの後悔の色。痛みの色。自らの身体から流れ出したものの色。もう元には戻らないという決意の色。それまでつながっていた人たちを最後に包み込む色。
 それ以上遠回りできなかった人間の最期は僕にそんな想いを抱かせた。なぜその人はもっと遠回りできなかったのだろうなんていわない。それをいうのはくだらないことだ。人にはそれぞれ世界を受け入れる許容範囲の限度というものがある。

 僕だって明日はわからない。そのときは何色でこの空を塗りかえるのだろうか。
 雨上がりの日の夕焼けはやけに美しい。しかしこの日は、夕焼けが美しい日に降ったその雨は涙雨にも思えた。そして、沈み往く陽は再びこの空をこの日と同じ色に染め上げることはないだろう。
 だからその日の夕焼けは美しくも悲しい色だった。

 ただそれだけ。