sport?

 いいこともあれば、わるいこともある。「だからこれからは未来世代のためにここはこうしよう」――そうやってほぼほぼ全ての世界はバランスをとってきたはずだし、そしてこれからもそうして世界のあり方は日々変容していくだろう。

 僕は今年も、なんだかんだといって「夏の全国高等学校野球選手権大会」の放送を、仕事の合間をみつけてはチラ見している。

 監督「いけるか」。
 選手「いけます」「いきます」「いかせてください」。

 この種の趣旨の発言が、試合後のインタヴューから聞こえてくる。それはもう年中行事だ。しかし、これは監督(大人)という社会的立場を濫用したパワハラの一形態に過ぎないのではないか。

 そうした中で選手が「甲子園出場が最終的な目標」だと意志しようものなら、その後に続いていく人生のグランドデザインの構築は困難を極める。つまり、燃え尽きてしまった人は思考停止状態になる。

 「青少年の健全な育成」という胡散臭いお題目は、高校野球においては身体の精神の破壊へつながる青少年へのパワハラの源泉だ。それに内輪の誰かが気づけないかな? 特に高校野球関係者は慣習的な精神論の行使に代表される主観的人間ばかりなのか?

 最新のスポーツ科学の知見は、高校スポーツにほぼ反映していない。高校スポーツの世界観は「スポーツ」の原義を見失わせている。制度疲労を起こしている従来からの「精神論」は跳梁跋扈するのみ……。

 学校スポーツの世界ではいまだ、指導者が「白だ」だといえば、選手の応答も「はい、白です」となる関係性が幅をきかせている。ほとんどの選手が自己犠牲によるカタルシスを得てそれがさも最終目的地に到着したかのような感覚に子どもを陥らせてしまう学校スポーツの現状のあり方は、昔から疑問を抱かせ考えさせることを僕に強要してきた。

 いまも、そうだ。