2018.08.12-13

 どうにもこうにも終わりという時の位置が見えてこない。これは仕事の無間地獄の只中にいるということなのか。

 気分転換に日記を書く。

 一週間ほど前に「水出しコーヒー」を淹れようと思い立ち、道具を揃えた。揃えたといってもコーヒー豆とハリオ製の水出しコーヒー用のストレーナーが付いたガラスポットのふたつなのだが。そうしてコーヒーを水で淹れてみる。それを飲む。夏が大嫌いな僕には、それはそれで、いくばくかの涼を感じられた。

 昨日、こんどは、「水出し茶」用のポットを手に入れた。これもハリオ製だ。ついでにアマゾンで1kg600円ほどの業務用の緑茶の茶葉も仕入れた。

 僕は味音痴だ。だから、水出しコーヒーがどうの水出し茶がこうのと語れない。どうにももどかしい。ただ、コーヒーとお茶のおかげで、毎年、夏は忙しいな、盆に墓参りへ行けないな、ご先祖のみなさんごめんなさい、というそんな季節を少し冷めた頭で捉えられたような気がする。




 さっきからしばらく雷の音がしているが、まだ雨は落ちてきていない。降りはじめたら、今日はどれだけ降るのだろうか。少し汗ばむ。寝室で稼働しているエアコンが放つ冷気は、いまいる仕事部屋に流れ込んでくる。脂の浮いた鼻先から仕事用のリーディンググラスがゆっくりとズレ落ちる。

 椅子の話。十年弱使って(座って)きた椅子のキャスター部が経年劣化で壊れたのは前述した。そこで、仕事の合間に、この椅子の修理についてメーカーへ問い合わせた。そのやりとりの内容を要約すれば、キャスター部の部品を購入すると、発送してくれるということだった。……本当なのか。

 ウェブ上で情報を収集してみた。なるほど、何人かのブロガーが「キャスター交換」について記事に起こしていた。おおむね、その話の内容にズレはない。どうやら、この椅子は部品さえ交換すれば、まだまだ使用できるのが分かった。座ってよし、胡坐をかいてもよし、そしてリクライニング状態で頭を空にするのもよし。モノでありながら、ほぼほぼ同志の関係なのだ。




 愛着のあるモノを長く使い続けられるシステムがあった。僕はそれをとても好ましいと感じる。部品が剥がれ落ちたとはいっても、特に使えなくなるということもない。だましだまし使いながら、次の椅子をどれにするか悩みつつ見繕っていたのだが、それも杞憂に終わりそうだ。

〔つづく〕