put out declarations

 僕が受け持っているY校のセンター現代文と小論文のクラスに、来週試験を受験する子がふたりいる。どちらも国立大学を受験する。時節柄、国立大学のAO入試や推薦入試は大変狭き門である。

 僕はいつも受験する者へ対して、クラスの他の人間にコメントを言わせる。というか、言わせたいのだ。その行為が、自分はこれから受験するという未来にあるほぼ確定された事実を実感することに繋がると思うからだ。言い換えれば、そこでの発言は受験するときの「じぶん」へのメッセージになりうると思うからだ。

 普通は「がんばれ」か「おちついてやってきてください」のようなコメントが大半である。言いたいことが、伝えたいことが整理できず何を言っているのかさっぱり分からない人間も中にはいる。でも、こうやって経験を積みながらコミュニケーションの何たるかを学んでいくのである。はじめから成功するコミュニケーションなぞ無いに等しい。近頃はそれを分からない人も増えているが、それはそれで仕方がない。「指先ひとつでコミュニケーション」という環境の中に生きているからだ。良くもなく悪くもない。それが現代のコミュニケーションのあり方である。

 僕は最後のコメントを引き取る。通り一遍のことを言ってから、檄を飛ばす。
 一度、腹に空気を入れる。そして、ゆっくりと吐き出す。一呼吸おいて、また肺と腹に空気を満たす。
 そして、吐き出す空気に声をのせて、世界を震わせるつもりで、がなる。

 「○○大、絶対合格!」

 ただ、それだけ。僕が君を送り出すときにできることは。

 そうして、生活をさせてもらっている。
 感謝。