on a graduation of meiji gakuin

 金がないので昨晩はヱヴィスはあきらめ、サッポロの黒ラベルを飲んだ。缶のデザインが大好きだ。黒丸に金星。その下にある"SAPPORO"の文字。「生」と金字で抜かれた周囲の英文がうっとうしく余計であるが、このデザインが僕は大好きだ。頭で呑む派としては、大変結構な缶のデザインである。そのサッポロ黒ラベルを今、500mlを3本飲み終えたが、いっこうに酔わなかった。いいことである。ということで4本目を空け、薬を飲んで寝ることにした。

 はずだ。

 マイスリーで寝付いてから、3時間程度で起きる。今の僕にとっては十分な睡眠時間だ。起き抜けに部屋のある建物の隣の隣にあるコンヴィニで昨晩買っておいたアンパンを食してから二日酔い対策のバファリンと精神安定のための薬を飲む。今日はほとんど予定がないので、医者の言う〈ノル・アドレナリン〉を溜め込むには絶好の日だ。しかも、4月以来初めての完全な休日である。一日何もしないことに決めた。

 シャワーを浴びながら、洗濯機では洗えないシャツやジーンズを洗う。ついでに半身浴。汗をかく。家でも仕事先でもエアコンを効かせた場所で様々な作業を行っていたから、とても心地よく、気持ちが良い。一通りの流れを済ませた後、ジーンズやシャツを干す。ギリギリと捻って絞れないものばかりなので、干すと生地を降りてきた水分が、塊となって滴り落ちる。夏の空気はそれらを蒸発させていく。その光景を見るのはとても心地良い。

 昼寝をする。この時間に眠くなるということは、薬がまともに効いている証拠である。今日だけは許されるので、昼寝をする。

 寝起きはあまり良い気分ではなかった。突然やりなれないことをするといけないことが良く分かる。しかたないので、バファリンを飲む。気持ちが悪い。

 なぜかラーメンを食べたいという食欲が湧いてきたので、いつものガード下にあるラーメン屋に行く。ここは、もうすぐ閉店することになっている。東急のガード下の補強工事のためだ。ラーメンが出てくる前に携帯電話が鳴る。家に置いてくれば良かったと思った。一旦外へ出て、話しをする。店の軒先にある貧相なベンチに座って話した。Y校の生徒へ一通りアドヴァイスをした後、席へ戻ってみるとテーブルの上にビールとつまみの煮玉子ともやし、ラーメンが出揃っていた。少し冷めていた。

 ラーメンを食べながら、店主と話し込む。昔の中目黒と今の中目黒の比較の話。今の中目黒は最悪だ、というところで意見の一致を見る。確かに再開発が始まってからこの町は改悪の一途である。目黒川沿いはまだ良いが、「中目黒GT」が出現するかわりに、戦後以来駅の周辺にあった場末の歓楽街が姿を消した。そして、その向かいにあった飲み屋街も姿を消してしまった。あるものは祐天寺や三軒茶屋などへ移ってしまった。後にできたのはオフィスと観光客向けの施設のみ。スターバックスセガ・フレード、コロラド。どこにでもあるチェーン系の食いもの屋。たとえば「吉野家」とか「大戸屋」とか、何とかというとんかつ屋。代官山に代官山アドレスができてからというもの、〈代官山〉という街が多少くだらない街になったように、それと同じ道を辿ろうとしている。いや、それよりも酷いかもしれない。そう、単なる寝床がある場所、そして観光地と化してしまった。以前見られたこの町独自の文化は消えつつある。というよりも、ほとんど消えてしまった。残るは「消費迎合文化」の残骸のみである。その店主曰く、これじゃもうここでは商売ができない、と。

 商店街からは、昔からあった魚屋や肉屋、定食屋はすべて姿を消した。すべてである。八百屋は二軒が残るのみである。代わりにチェーン系の店が軒を連ねる。そして何のセンスもない個人の店がその間を埋めている。センスの悪いマンションやビルが増えていく。そのほとんどは関西系の建設会社が絡んでいる。特に「MS」というゼネコンは、街のあり方に重要な役割を果たしていた小さな公園の雰囲気を完全に壊した。風の通らない公園にしてしまった。雑然とした、渾然一体となった、あの中目黒はもうない。良いと思う店、つまり下級労働者向けの飲み屋や一家言あるようなデザイナーが構えているような店はすべて姿を消した。あるのは、何のセンスもない小じゃれた店ばかり。観光客相手の。志のある店は移転、あるいはただ消えていく。ラーメン屋の店主は三軒茶屋に店を移すと言っていた。彼の声は、途中で入店した住みはじめたばかりと思しき若いアヴェクにあてつけるかのような大声になっていた。そのアヴェクは居心地なさそうにそそくさと食を済ませ、出て行った。僕はいい気味だと思った。その店主の気持ちはとても良く理解できる。僕は東京で生まれある程度まで育ち、その後宮城(田舎)で過ごしているから、双方の価値観が分かる。今の中目黒は「田舎者文化」の匂いが充満している。節操がない。その店がなくなったら彼の写真を掲載しようと思う。その表情を見れば、分かるだろう。すべてが。

 別に東京の肩を持つわけではない。僕だって「田舎者」だから。だけど、子どもの頃から昔の東京を知る身は、単純に自分の内にあるものを見分ける基準〈良い/悪い〉に照らし合わせて、今のな中目黒で見るもののほとんどが「良くない」という方向にカテゴライズしてしまう。昔に戻れ、という単純な懐古ではない。佐藤伸治曰く「モードな東京は嫌いだ」。蓋し名言である。僕もそんな気分である。

 中目黒という「田舎」が無くなってしまった、ということである。文化の持つ性質的に、他の文化と融合して新しい文化が構築されていくのなら良い。果たして、どうなるだろうか。

 現在形と過去形がないまぜだ。かなり酒に酔っている証拠だ。でも、良い。自分の今の状態があるべき〈モード〉の姿であるとも思う。記録としてはこれで良い。だが、今の中目黒は「悪酔い」状態だ。

 ラーメン屋からの帰り道、公園で猫たちと心ゆくまで遊んだ。いつもは僕を相手にしてくれない〈黒白のぶち〉が相手してくれた。腰の辺りをぐりぐりして、ゴロンとさせる。腹を撫でたり、指先で擽る。顎の両脇や首の辺りを指先で弄る。背中を毛並みの流れに沿って撫でる。指先や手のひらに感じる猫の毛や皮膚の感触がとてもとても心地良い。ドスの効いた声でニ"ャァニ"ャァとのたまう。思ったより肉付きが良い。みんなから食料を得ているのであろう。良かった。

 しかし、それが合図だったのか。罰が当たったのか。郵便受けに悪い知らせが届いていた。不採用通知。今度は履歴書と職務経歴書で落とされた。僕の担当する科目の講師が充足しているのなら話はわかるが。断りの書面にはそこの経緯を簡単でも良いので記載してほしいと思う。何が不足なのだろうか。せめて「あなたのような『ダメ人間』はいりません」ぐらい書いてほしい。そうすれば納得できる。この業界は実力がすべてであるのだから。

 この業界で明治学院卒は本当に辛い。中味はとても良い大学で高いレヴェルのことを学べる大学なのだが(今はどうか知らないが)、現在は入るのが簡単すぎる(馬鹿すぎる)ので、企業には相手にされない。僕はこの大学で学んだことを、実際のところ誇りにしている。入学した当時、芸術学をまともに学べるのは私立では慶應しかなく(早稲田は生理的に嫌いなのではじめから眼中になかった)、その他には明治学院しかなかった。当時、MARCHレヴェルの大学にはひとつも芸術学を学べる大学なんてなかった。東京芸術大に行けば良かったのだけれど、二次試験をサボって遊びに行った。その頃には大学受験なぞどうでも良い、という心境が僕を支配していた。当時の河合のセンターリサーチではトップだったのだが。後悔先に立たず、である。

 学歴は重要である。学んだ中味なんか、その質の程度なんかなんの意味もない。少なくとも自分の内面以外には。「この大学で学んだことは良かった」などという心境は飯を喰うのに何の役にもたたない。学歴のせいにはしたくないが、書類で落選するとそうも思いたくなる。自分の置かれた状況が状況なだけに。

 自分の無能さを学歴のせいにしたいだけ。脳みそがない自分のしてきたことを棚に上げたいだけ。大学卒業後、リヴェンジを期して東大の大学院を受け、結局最後に落ちている時点でアホでしょう。我ながら、情けなすぎる。

 恥ずかしくなってきた。この程度の能力で、この程度の学歴でこの業界で働いていることに。僕に受け持たれている生徒は不幸だと思うようになってきた。限界が近づいてきたということだろうか。最後の仕事だと思っていたが、この仕事にも僕の居場所はないようである。居場所を作ろうとつとめてきたが、やはり役不足なのだろうか。バカはいつまでもバカなのである。自分をバカと認めたくない自分のせいで誰かを、いやみんなを不幸にしていることに耐えられなくなりつつある。

 この仕事を続けるなら、誰とも関わり合いを持たないこと。
 この仕事を辞めるなら、寂しいなりに他者と係わり合いを持ちながら生きていくこと。
 自分の不甲斐なさに我慢できないなら、このまま今ある責任を果たして、ここから消えること。
 来週から一週間の予定であるプチSの夏期講習が不安だ。この気持ちを抱えたまま、ホテル暮らし。どうなることやら。

 もう少し考えて、答えを出そうと思う。

 それまでは酒と薬づけ。
 あと、もうちょっとだけ時間をください。
 お金がないので、消えるか逃げるか払い続けるか、まだ決められないのです。
 この街と一緒で、方向性なんて何にもないのである。

 どこかで帳尻を合わせないとね。