a meaning is not included in all

 酒についての話はボチボチと書いている。なかなかに心が向き合えず難渋してはいるが、細々と書いていこうと思っている。

 また眠れなくなった。芋焼酎精神安定剤にはなり得ないくらいの薄さでお湯割にして、一杯引っかける。酒に対する、ある種の恐怖感がそうさせる。

 いままで風呂場でジーンズを洗っていた。さすがに洗わずに何度も穿いていると、精神衛生上よろしくない臭いを発する。そろそろ水に潜らせなくてはと思い、風呂桶に水を張り洗剤を申し訳程度に入れて、ジーンズをジャブジャブとその中で泳がせた。洗いと濯ぎをするために何度か風呂桶の水を入れ替えた。上半身裸になってジャブジャブその行為を繰り返した。いくつになっても、ジーンズを洗うときはすこしだけ緊張する。最近はそれほど、昔のようなジーンズに対する拘りはなくなったつもりだったのだが。

 結構な数を人にあげたりしたので、いまはもうそれほどの本数を持ってはいないが、それでもまだ四五十本は押入れの中に眠っているはずだ。普段穿くジーンズは五六本だから、あとはコレクションもどきか捨てられないか、記憶から忘れ去られているものだろう。何年も。申し訳ないと思う。

 ジーンズといえば、大学に落ちて予備校通いをしていた時分、受験勉強の片手間に知り合いの古着屋を手伝っていた。高校生時代同様に、本を読み倒すのも、音楽を聴き倒すのもするのも、映画を観倒すのも、自分の感知できる範囲に惹起される様々なことを悩み倒すのも、すべてを継続しながらだったから、勉強の方が片手間だったと言ったほうが良いのかもしれない。そんなこんなで当然第一志望の大学に合格するはずもなく、その状態が二年続いた。結局、行きたかった大学には受からなかった。心が分散していたのだから当然だ。自業自得である。そして、いまもなおその失敗を引き摺り、なにかにつけ囚われている。情けないことに。そのたびに、つくづく自分は過去を受け入れることができない人間なんだな、と自己嫌悪に陥る。

 でも、楽しかった。店のオーナーが仕入れてきた山のような古着たちを選り分ける。整理する。店のレイアウトを決めさせてもらう。店内に流す音楽を選ぶ。ミシンの使い方をおぼえる。得意ではないが、接客をする。気の合う客と何時間も話す。黙って自分好みのものをリザーヴしておく。その手の雑誌が謳っているような、販促のためのいい加減な情報ではない服の見方を知る。帳簿なんぞを見よう見まねでつけてみる。僕の撮ったものではないが、服を扱うかたわらで写真の売買をする。いまの生活にそれらは鼻くその役にもたってはいないが、楽しかった。

 しかし、それだけが大事だったわけではなかった。本を読むのも、音楽を聴いたりバンドをやるのも、古着屋の手伝いをさせてもらうのも、映画を観るのも、悩むのも、考えるのも、そして勉強をするのも、それらのどれもが当時の僕にとって等価なものに感じられた。どれもが楽しくて意味があるように思えた。でも、心が分散してしまい、どれもが身につかなかった。そして、そのどれもが、自分の存在を表す記号にはならなかった。

 いま思えば、ただ単に、自分をディプレッションするなにかから逃れるようにして夢中で行動していただけのように思う。そして、状況に流されていただけのような気がする。すべてが中途半端であることは、いまだに僕がかかわるすべてのことに通底している。成長していない。そもそも成長を感じること自体が幻想なのだが。

 意味はなかった。いまも何の意味もない。

 今日は朝から晩まで一日中怒りっ放しだった。疲れた。身体中がギシギシと音をたてている。なぜある質をもつ人は、僕とは相容れない、そして受容しきれない行動や言動をとるのだろうか。反対に、僕はその行動や言動、心の動きを受容しきれないのだろうか。自分のポテンシャルの低さやキャパシティのなさ加減に情けなくなる。左の肩が千切れるように痛む。その痛みは、気持ちが追いこまれたり、神経を絞るように使ったときに起こる特有の痛みだ。

 意味はない。ただただ、どこまでも、いままでに自分の蒔いた種が発芽して、心を覆いつくすくらいに成長しただけの話だ。自分さえ自分にたいしてこの体たらくなのに、ましてや他人の手助けなんてできるのだろうか。寄り添うことさえできやしない。それは、自分が誰かに寄り添われることは叶わないということでもある。あたりまえだけれども。まあ、はじめから寄り添われる価値なんて自分にはない。わかっている。

 いくら酒を呑んでも、意味なんか醸成できやしない。何についても。意味なんてものははじめからないんだということを、頭ではわかっているのだが。

 この文でさえ何の意味もない。分かってはいるのだが、身体が反応してしまう。そう、こうして書きなぐっている。