thinking about something in “alcholidays” - 002

(つづき)

 その後、追い出されるかのように母は家を飛び出し、小さかった僕の手を引いて実家へと向かった。いまでもそのときのことは憶えている。忘れようがない。

 その日の夜、僕は母の声によって眠りから目覚め、せかされるように蒲団から出て着替えさせられた。「おばあちゃんが病気なの。お見舞いにいく」というのが表向きの理由だった。しかし、ただならぬ雰囲気を子どもながらに察した僕は不安の方が先にたっていた。「どうなるんだろう」その思いだけしか頭にはなかった。

 iTunes が Julian Cope の "World Shut Your Mouth" をかけている。たしかに Julian Cope が言うように、いま頭にもやがかかって変になりそうだけど。僕はやめない。インスタントのマテ茶に黒砂糖を入れて飲む。いつもより黒砂糖を多めにして。これでもかと甘ったるくして。

 その時間、父は店にマスターとして立っていた。母は彼に気付かれないようにタクシーを電話で呼んだ。そしてすぐにタクシーが到着し、車は母と僕を後ろの席に乗せて彼女の実家へと向かった。少しでもすこしでも早く、遠くへ、酒に酔った父の暴力が渦巻く家から逃れようとするかのようにタクシーはそのスピードを上げていった。そのときの、父への恐怖からなのか、これからのことに対する心細さからなのか、目的地に着くまで母は僕を抱きしめていた。そのときの母の胸の感触や、腕の、手の、そしてシート上でしてくれた膝枕の温もりはいまだに忘れられない。残っている。

 その後しばらく、母方の祖母の家、つまり母の実家に住むことになった。祖父はすでに亡くなっていた。戦死。母、僕、祖母の三人暮らしがはじまった。
 
 山間の小さな雑貨店。その家の裏は畑と果樹園だった。春は近くの山肌にところどころ桜が咲き彩りを添えた。夏はさわやかな風が裏の空間から流れてきて家の中へ入り込み、店先へと吹き抜けていった。秋は山が燃えるように赤く染まっていた。木の実が地面にたくさん転がっていた。冬はわからない。その季節が到来するころ、僕はそこにいなかったからだ。詳しいことは今でもわからないが、そんな季節の移り変わりの間に母と父は離婚に向けての交渉を持っていたようだ。

 秋が終りを告げようとするころ、家庭裁判所で父と母の離婚調停が成立した。結果、僕は父に引き取られることになった。世界中いたるところ、どこにでもある、誰が振り向くでもないひとつの小さな人間関係が終わっただけの話だ。でも、そのときから、僕は僕の心のどこかに蓋をした。いまもって、そのときの僕が心のどこへ蓋をしたのかがわからない。蓋は見つからない。とにかく、僕の中にいる僕以外の誰かに対して心のすべてを開くという行為を、そのときの僕は僕へ禁じた。その禁はいまだに続いている。守っている、というべきだろうか。途方に暮れている、というべきだろうか。これもわからない。

 多かれ少なかれ人はみな、そうして心のどこかの部分に蓋をしているはずだ。それでなければ、この世界で呼吸することはかなわない。だから、それは特別なことでもなんでもない。ましてや誰のせいでもない。父や母のせいでもない。その状況をやり過ごすために、僕がただこの方法を選んだというだけの話だ。

 曇り空が広がっている。何もする気が起きない。やらなくてはならないことが沢山あるのに。溜まっているのに。そんな方法を選び取っていままで息をしてきたからかもしれない。いまこんな気持ちになっているのも自業自得でしかない。

 そこで母と別れて以来いままで、一度も会っていない。僕は子ども心に、彼女のことをはじめからいないことにした。詮なき事柄だからだ。そのときの僕は、彼女の不在が何を意味するのかわかっていたからだ。

 それからはいつも、なにかのふりをしていた。自分ではない自分のふりをしていた。そのとき眼の前にいる他人が僕へ望むかたちを、そのたびに身に纏おうとした。実際、纏った。僕の人間的性能が低いせいで、纏いきれなかった人が僕に望むかたちもたくさんあるけれど。

 父と暮らしはじめた。彼と僕のふたりだけではない。父方の祖父と祖母、父の弟、住み込みで働いている店のホステスと厨房の調理師など、常に七八名はいただろうか。賑やかだった。みんな僕に良くしてくれた。喜ばせようとしていた。だが、僕はそういった彼/彼女らの僕に対する振る舞いを、どこか醒めたまなざしで見つめ、捉えているようなところがあった。僕は彼ら/彼女らがなにかしてくれるたびに喜んだふりをしていたように思う。決して馬鹿にしていた訳ではない。そのときの僕がその態度を選び取っただけだ。それでも、母の存在の欠落を埋めようとしてくれたそうした周囲の行為に対して、感謝の念は抱いていた。だが、その行為をどこかあたりまえのこととして眺めていたのも一面の事実だ。そして彼らの望む着ぐるみを纏ったのだ。

 そのうち、小学校の低学年から高学年へとあがる頃くらいだろうか、そのふりをする自分のようなものが僕の中心に座り込むようになっていた。そのときその場所で息をするために、ごく自然に、それまで隠していた自分の首を絞めあげて殺すことに成功してしまったのかもしれない。あるいは、それまでの自分は、あまりにも情けないそのときの僕に愛想を尽かしてどこかへ行ってしまったのかもしれない。

 父は相変わらず酒の量がすぎた。それがもとで、店ではトラブルを何度か起こしていた。新聞沙汰になったこともあった。まあ、酔った暴力団員が一発、店のドアに撃ち込んでドアが壊れただけのことだが。

 我ながらくだらないことを書いているなと、つくづく思う。

 iTunes はいま、Teenage Fanclub の "Fallen Leaves" 、そして Ally Kerr の "All Alone Again" を鳴らしている。聴いて、ただ泣く。我ながら弱いと、つくづく思う。でもなぜ君は心を読めるんだ? それをチョイスするんだ? 僕という人間が、心が、機械でも読むことができるくらい単純にできているからだろう。きっと。

(つづく)