in the same as that day, this holiday was rain, too.

 なんとなく目覚めた。外を見たら雨が降り出しそうな空模様である。そしてコーヒーを淹れてから読みはじめた新聞の天気予報もそう告げている。テレヴィの電源は入れない。
 そうしてまた、冷めてしまった蒲団にもどった。

 電車が走る音が聴こえる。その音の感じからすると、最寄の駅の手前でスピードを落としているのだろうと想像がつく。この時間のことだ、きっとその電車はたくさんの、働く部品と化した人間をたくさん積載していることだろう。僕自身も僕の存在に対してそう思う。毎朝の行く道で、毎晩の帰り道で。決まってそのとき、僕は疲労感にからめとられる。読んでいる本の文章を構成しているはずの言葉も一瞬にしてただの記号の羅列と化す。それ以上でもそれ以下でもなくなる。そうして電車は走っていく。

 昨晩、友人から電話があった。記号を媒介とする連絡ばかりであったから、声の形をした音声記号でやりとりができるのは少し嬉しい。声のやりとりは仕事ばかりであったことに気付かされる。フレンチの店で働きはじめたのだとその彼女は言った。携帯電話のスピーカーから聞こえてくるその声は何かが溢れていた。生命、希望、有機的な何か。それらはすべて動的なものに突き動かされているかのように響いていた。

 最近、臍の、僕から見て左側に出来物ができた。にきびだろう。この歳になって、顔にはほとんどできないが、突然、顔以外の部位にできるから困りものだ。腹ばいの体勢になるとその出来物ができた部位を圧迫するので痛みが走る。なんとかならないものか。これも時間が解決してくれるのだろうか。歳もここまで経ると、かねのぶさちこの『時にまかせて』の歌詞のように「すべては時が解決してくれる」とは思えなくなるものだ。

 前ならば、できたにきびはすべてつぶしていた。つぶしても特に痕には残らない体質のようなのでそうしていた。あとは放っておけば治っていた。気が付けば元通りという感じで。しかし、最近はそうもいかない。結果として治りが遅くなってしまう。成長を感じることはなくなった。老いを感じることが多くなった。

 煙草を吸おうと思ったら、空色の箱の中は空だった。残りの一本を探し出そうとする指の動きに合わせて鳴るヴィニールの音が空しい。最近の僕は煙草を切らすのを極度に恐れていてちまちまと買いだめをするようになった。だから机の上には工事現場で使われなかった、余ったレンガのように何個かの煙草が積まれている。蒲団から出るのが億劫だが、ニコチンの煙の魅力と魔力と堕落には逆らえない。休日の楽園から這い出て机の上にある青い煙草の箱を右手で掴み取った。
 蒲団から出て一本吸った。うまい。

 今日は昨日の晩に話した友人と一緒にランチを食べる予定がある。その時間は、働きながら学校へ、しかも二つの学校へ通っている彼女にとっては仕事の合間の貴重な時間、僕は休日の昼下がりという時間。それはなんとも対照的な時間のあり方だ。僕の時間のあり方が恥ずかしがっているような感覚がする。午前中の仕事が一段落つき次第、彼女が僕へ連絡をくれることになっていた。

 以前から約束していたCDを焼くためにコンピレイションを編集することにした。iTunesのライブラリから相手の現状、イメージや以前会ったときのことを考えつつ、そこに今の自分の気分もほんの少し織りまぜて曲をピックアップし、プレイリストへドラッグアンドドロップで放り込んでいく。モバイル用の小さな黒いマウスを操作しながら放り込んでいく。その放り込みは一時間半くらいで終った。この時点で六四曲をピックアップする。そこからまた全体の尺を八十分というCDの許容量に合わせなくてはならない。絞り込むために一曲ずつ聴きながら気分にそぐわない曲を削除していく。

 そして四十曲ほどにごめんなさいをして、最後の仕上げの並べ替えをする。この段階で手を抜くと何の意味も成さなくなる。何事も順序というのは大事だと思う。特にふたつの異なることを同時併行でできない僕はそれをいつも痛感させられている。ひとつのことに集中すると順番も何も見えなくなってしまう。意識をしてその陥穽にはまらないようにしようとするのだが、いつもうまくいかない。もうこの点に関しての改善はあきらめることにした。人間、分限というものがある。なので集中した。

 CDを焼き、プリンターの調子が悪いので曲目を手書きする。外出するまでは読みかけの本を読むことにする。でも集中して読むことができない。どうしても睡魔に襲われてしまう。逆らってもしかたないので目を閉じる。眠るわけではないがそうすると落ち着くのだ。その間、先程作ったCDをかけてみる。ちょうど聴き終わる頃には連絡が来ることだろう。「はっぴいえんど」を入れすぎたかと思ったが、仕方ない。後戻りするのも何だし、そのときの僕の気分を否定することにもなる。自分自身を否定するのはなるべくしないようにしようと心がけ始めたばかりでもある。

"Cinnamon(The Lady Was Made To Be Loved)" by Lalo Schifrin/
"Come Back On A Rainy Day”by The Critters/『雨あがりのビル街』 by 遠藤賢司
”Close Your Eyes”by G.Zekley-M.Bottler/”Endlich Vogeln”by Dauerfisch/
”Infant Eyes”by Wayne Shorter/”Put My Love Out The Door”by Rhonda Harris/
”Willow Weep For Me”by Chad and Jeremy/『朝』by はっぴいえんど
”It's All Over Now, Baby Blue”by Bob Dylan/”Don't Let Love Pass You By”by Frank Blake/
”Romance”by Daily Planet/”Do It The Hard Way”by Georgie Fame/
”Female Animal”by Arlene Tiger/”Body And Soul”by Eddie Jefferson/”Bad!”by Jetset/
『明日あたりはきっと春』by はっぴいえんど/”Starsign(acoustic)”by Teenage Fanclub
”Hi Lili Hi Lo”by Manfred Mann/『時にまかせて』by かねのぶさちこ/
”My Life Before You Came”by Modesty Blaise/”No Pictures”by Hirameka Hi-Fi

 CDの終盤ぐらいから外出する準備に入る。そのとき連絡が入った。尊敬する人生の先輩のひとりから。先週、その人生の先輩にこちらからお願いして無理をして焼いてもらったDVDの件。仕事場に置いておいて頂いたのだが、僕はそのとき、悪い癖の「ひとつのことしかできない病」が出てしまいそれを受け取るのを忘れてしまったのだ。最低だ。言い訳無用。帰りの電車の中で気付いたのだが、あとのまつり。とにかく謝るしかない。申し訳ありませんでした。

 もうひとつCDを編む約束がある。帰ってからしようと思う。こちらはFishmans Onlyで。楽しみだ。

 そうこうするうちに、今から店のある阿佐ヶ谷を出る、恵比寿で待ち合わせ、という内容の連絡が入った。そのとき外では雨が降り出していることに気付いた。雨は嫌いではない。先日、高田渡が逝ってしまったときも雨が降った。その前にあったある一件のときも、帰り道は雨降りだった。雨は何らかの偶然が出現する前触れではないかとさえ、最近思っている。

 雨が降っていることに加えあまり時間もなかったので、地下鉄で恵比寿に出ることにした。ひと駅だから座ることもないのだが、車内はガラガラなので恵比寿で開く側のドアのすぐ近くの席に腰をおろした。こういう行為が我ながら小市民的だな、と自分自身の行動に対して嘲笑した。貧乏くさいと思った。あっという間に目的の駅に到着、電車からホームへ降りた。徒歩の場合と比較して十七分を稼ぐ。

 地上に出て、少し待つかなと思い雨を避けられる場所を探そうとすると懐かしい声が聞こえた。昨日携帯電話越しに話をしたはずなのに、やけに懐かしいと感じた。向こうもちょうどJRの駅から出てきたところだったらしい。小さな偶然があった。

 彼女が店の人に買っていくお菓子を買いたいというのでまず、ピカソルへと向かった。雨がまだ降り出していない朝から仕事をしている彼女は傘を持っていなかった。僕らは一本の傘の下に入り、彼女の左の肩と僕の右の肩を濡らしつつ現状を報告しあいながら鑓ヶ崎へ向って上り坂を歩いた。雨は徐々に強くなっていく。

 ピカソルの前で、どこでランチを食べようかという話になり、ふたりとも妙案が浮かばなかった。普段、僕は代官山でお茶も御飯もすることはないし、彼女も最近は忙しすぎてなかなか来れないので思い浮かばないという。しばらく間があって彼女の口からギグルは?という答えが導かれた。僕も言われてそこしか思い浮かばない。ギグルへ向って今度は坂を下って歩いた。

 御飯が出てくる前に編集したCDを渡した。最近、音楽を聴いていないと、彼女はぼやいた。

 そしてランチを食べながら、たくさん話をした。フレンチの店の仕事の話、ふたつの学校の話、レポートの書き方の話、魚や肉の見分け方の話、今度行く海外旅行の話。いま働いているところは朝九時から夜十二時までの正味十四時間労働なのよ、なんて彼女はちょっとだけ疲れが見える顔をして言った。僕がこれを書いている間もその店に戻って働いているはずだ。でもその目的のためなら何とでもなるというような意志によってそんな疲れの大半を覆い隠している顔が、僕の目の前にあった。

 僕はただ単純にすごいなと思った。この小さな身体のどこにそのようなヴァイタリティが隠されているのだろう。まあ、身体のサイズは関係ない。意志の力。それにひきかえ、僕は自分のことを干からびた煮干のようだなと感じた。でも煮干は出汁がとれる。それで周りを生かすこともできる。まだ自分が存在する理由がそこにある。それで自分を納得させようとした。傲慢ではあるが。そして彼女を少し見習おうと心に命令を下した。

 店を出て、仕事へ戻るために来た道を引き返す彼女と目黒川沿いを話しながら歩いた。今度は中目黒に向って。こっちのほうがギグルからは近い。川沿いの桜はその短い花の時期をすでに終えて、衣装換えしながら夏が来るのを待っていた。僕はもう少し遠回りをして彼女と話をしたかったがそうもいかない。彼女は仕事場へ戻る道すがら新宿にも寄らなければいけないのだ。我儘は言えなかった。

 彼女を見送ったあと、少しだけ遠回りをして部屋へ戻った。その道すがら、彼女に傘を渡すのを忘れていたことに気が付いた。どうせ僕はすぐに部屋へ戻れるのだ。そのとき、真人間への道はまだまだ長いなと思った。

 お仕事、お疲れ様です。ごめんね、あのとき僕は気が付かなかったよ。
 ホントに自分のことしか考えていない大馬鹿者だね。