phenol phthalein

 ああ、涼しい。いいことだ。電気代も減るさ。この夏はエアコンをオンにするのを極力避けて扇風機に切り替えたおかげで、電気代がいつもの半分で済んだ。すばらしい。
 季節が移り変わっていくにしたがって、氷を入れてコーヒーを飲む機会が減ってきた。今は、朝に淹れたコーヒーの残りを、仕事を終えて家に帰ってきたとき飲むときぐらいのものだろう。もう少し季節が進めば、それもなくなる。今日もあたたかいコーヒーを淹れて飲んでいる。普段通り、何も入れずに。気分次第でときには、砂糖を入れて甘ったるくミルクも加えて。
 季節が変わったことを知ったとき、突然、自転車が欲しくなった。
 朝、目覚めたら、昨日とは明らかに違うひんやりとした空気に包まれていた。カーテン、というか、窓を覆っている赤と黒で彩られた格子パターンの大きな布をあげてみたら、射し込んでくる光の強さが前日までとは違っていたような気がした。そのとき、自転車を持っていないことを強烈に後悔させられたのだ。
 なぜ、季節が移り変わる流れに気づかなかったのだろう。季節は徐々に移り変わっていくものではないのか。
 でも、気づくときはいつも、唐突だ。
「あ、来た」
 いつでも、どこでも、どんなときでも、このようにして季節が動いたのを知るのだ。
 注文していた自転車が日曜日にやってくる。これも「季節」が僕にもたらした感情によるものだ。
 いま、自転車がない。かなり前に盗まれてしまった。その自転車は、今は遠い記憶になってしまった元同居人が乗っていたものだったのだが、新しいのを買うからと、部屋を出て行くときにそのまま僕が譲り受けたのだった。
 普段は部屋のある建物の入り口のあたりに駐車していた。入り口前の道幅が狭く、一度、車がぶつかったようで後輪のホイールがひしゃげてしまった。まるでB級コントで使われるようなドタバタ走る自転車になってしまった。そのうち、鍵が壊れた。新しい女性と付き合い始めた頃だ。新しい鍵を付けるのも億劫だったのでそのままにしておいたら、やはり、盗まれた。
 別に擬人化するのが適当だとは思わないが、ものにも人を、世界を見る眼があるように感じる。科学的に言えばそんなものはないはずなのに、そんな視線の存在を信じようとする部分が僕の内側にある。原因は僕のただの怠慢に過ぎないのだけど、もしかしたら自転車がそうするように望んでいたような気もするのだ。
 それからは自転車に乗らなかった。何か気乗りがしなかった。一連の出来事から自転車に乗るのが申し訳ないような気もしていた。跨るのが躊躇われた。もっぱら足を移動の手段としていた。そうこうするうちにその人とも別れた。
 今度乗ることにした自転車はどんな走りをするのだろう。何を僕にもたらしてくれるのだろう。何を見せてくれるのだろう。僕は自転車に乗ってどこへ行くのだろう。誰と会うのだろう。僕の内面も、当然、季節の移り変わりのように移ろいでいくのだ。
 色は、茶色にした。自転車屋に在庫がなかったので注文扱いになってしまい、結局手に入れるのが遅れてしまったけれど、フェノール・フタレインがアルカリに反応して赤くなるように、今まであったことが反応しあって、何か物質に作用していくような色が欲しかった。そう、それまで乗っていた自転車は白色だった。記憶の中のその白色は、僕にとってフェノール・フタレインの結晶がまとう無色という色を連想させたのだ。だから、茶色にした。
 どんな空が広がっていても、誰と出会っても、素敵な出来事があっても、もう「赤変」とまではいかないだろう。僕の、物質としての存在は死ぬまで変わらない。
 ただ、気分は変わる。自分の内にも季節を飼っている。