2017.08.21

 ここのところ、僕はバタバタするばかりだった。

 先週の金曜日は故郷で親父の七回忌の法要を執り行い、その後、墓参りやら会食など一連の法事につきものの行事をこなしていた。そこに至るまでも、前段階としてお寺さんと連絡をとりあい、法事の予定を決め、何人出席するのか確認したり、お斉(会食のこと)場所の手配などなど諸々とあり、気の休まる暇がなかった。

 そんなこんなで朝一の新幹線で故郷近くの街まで、親父・祖母・祖父の遺影と位牌、法事用の服を入れたバッグを担いで向かった。その街についたら今度は在来線に乗り換え僕のルーツである町へ向かう。雨が降っている。どうも僕は東京から雨雲を引き連れて故郷へ向かったらしい。町の駅に着いたら、そぼ降る雨模様だった。

 親父が亡くなったとき、僕は何とも思わなかった。欠落感も悲哀も、悲しみすら感じなかった。だが、こうして六年の月日が経つと、不在の親父の存在が日増しに大きく、超えられない存在へと、現在進行形で重くなっていくのが分かる。たとえば、こどものこと。よくもまぁ父ひとり子ひとりの父子家庭になっても変わらず僕を育てたものだな、と。いまの僕にはお金も何もないし、家族もない。こんな自分になってしまい親父には気の毒なのだが、いつだって親父は僕の味方をしてくれた。それだけとってみても、親父は僕にとって超人のごとき存在なのだ。だから、六年前よりいまの方が辛く、悲しい。

 一連のイヴェントをこなし、あとは東京へ帰る段になった。親戚の伯父さんに車で最寄りの新幹線停車駅まで乗せていってもらった。その途中、その伯父さん、親父そして僕の母校を車窓から眺めた。数年前に隣の女子高と統合し共学化され、新しい校舎が建ち、男子高時代の名残はほとんどなくなっていた。それでも良かったな、と思えたことは、校門から出て帰宅するのだろう学生さんたちが女性・男性問わず私服だったことだ。譲れないところは譲れない。そんな気風が保たれている光景にちょっとセンチになった。

 帰京後は、溜まっている仕事を片付けるため、ひたすら自宅の四畳半の仕事部屋で読んでは書き、また読んでは書きを繰り返している。いまもそうだ。僕は仕事嫌いの上に遅筆の性質だから、なかなかゴールが見えない。机の上に積み上げられた未添削の答案の山をちらりと見てはため息を自分の内側でつく。

 先週の土曜日、日曜日、そして今日月曜日と、ずっとそんな感じなのだ。
(つづく)(たぶん、のちに加筆)

(承前)
 このところ、先日オークションで落札して我が家にやってきた「赤いスピーカー」で音楽を聴きながら仕事をしている。筐体のサイズが小さいので、メインのスピーカーの横に一台ずつおいている。JBLBOSEだからスピーカーの出す音のキャラクターが乖離しているのだが、それぞれのメーカーの音の作り方は何ととはなしに憶えている。どちらの〈音〉にも、過去の濃密な想い出が絡みついているからだ。

 とはいえ、BOSE製の赤いスピーカーの音がまだ良化しない。理由として考えられるのは――
 ①スピーカーユニットの経年劣化。特にスピーカー部の磁力の低下。
 ②ケーブルのメンテナンス不足。
 ②まだセッティングしていないから。現状はカーボン製の薄い板状のインシュレーターをかませているのみ。
 ③このスピーカーのもともとのキャラクター。
 といったところか。

 今日の発見は、この赤いスピーカーは Led Zeppelin を奏でるのがうまいな、ということだ。録音やミックスダウンなどの音作りがBOSEのスピーカーシステムで聴くのに適しているのだろう。反対に日本の音楽を鳴らしているとき、少しダメな奴になってしまう。昔に関する記憶の中のBOSE101はオールマイティだったような気がするのだが、この赤いスピーカーの中身はアメリカ製だが、デザインはイタリアの某デザイン事務所(? 失念)だからか、ソースの状態によりへそを曲げやすいのかもしれない。

 と思っていたら、いま、Teenage Fanclub の "Songs From Nothern Britain" を朗々と歌っている。奏でている。――うん、あの頃と一緒だ。涙腺が崩壊しそうだ。(了)