朝、目覚めたら、なんとなく肌寒い。
いい感じ。目覚めが良い。
秋だ。来ました。
ということで、散歩に行く。
部屋を出て、ローソンでなけなしの金をおろし、鑓が崎経由で恵比寿へ。写美へ。ブラッサイ最終日。
思ったより良かったっす。ブラッサイ。
写真展の良いところは、写真家やラボの人々のプリント時の顔や息遣いや思いが浮かんでは聞こえて、そして見通せること。ブラッサイの場合はオリジナルプリントではないものも多いのだけれど。
ともかく、それは、印画紙上に捉えられた対象や世界が何であっても、その写真に彼岸の、薄皮一枚向こう側のリアリティをどうしようもなくもたらす。
この感覚を抱くには写真集だと無理。
写真集は息をしていないから。
世界を記号化した写真のさらなる記号化だから。
って、思ってしまいました。
ということで、久々の写真展、ブラッサイが壁に穿たれた「落書き」を蒐集した写真群を見て、読んで考えさせられたこと。
性への情欲と生への希求、死への戸惑い、それらの相関関係について。
なんで、生きたいのかね。
なんで、誰かを、他者を求めるのかね。
なんで、性を求めるのかね。
なんで、死を遠ざけようとするのかね。
表裏一体だからなのかね。
どちらか一方を手にしていなければ、確認していなければ何もわからなくなるからなのかね。
なんで、それらを表現しようとすると身体に纏わるフェティッシュが表現に絡んでくるのかね。
なんで、これらは地続きなのかね。
なんで?なんで?どして?
皆様、教えていただければ、示唆をいただければ幸いです。
僕はそれらを考えれば考えるほど、涙がこぼれて仕方がありませんでした。
秋だ。
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「散歩の一曲」」:"Rocking In A Shy Way" by The Starlets と 『バックビートにのっかって』 by Fishmans
… 散歩中、この二曲が頭や胸の中から聴こえてきてずっと鳴りやまず、難儀。
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