talk about memories of fishmans

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もう何年前になるのか。
横浜のCLUB24で見たFishmansのライヴ。Fishmansのライヴの中では妙に印象に残っている。
Fishmansがアルバム『Neo Yankee’s Holiday』 を出した頃の話だと思う。
正確には、忘れた。なのでネットで調べることにする。
便利な時代になったものだ。
すると「'93.11.22」とあった。
そうか。11年前なのか。あれから11年か。
その日の対バンはウルフルズだった。
ウルフルズのファンの方には申し訳ないのだが、ただうるさいバンドだなと思い、
はやく終わんないかなぁなんて思いながら見ていたのを思い出す。
一緒に行った友人と話しながら。
ウルフルズで前に陣取っていた小煩いひとたちがステージ前から引いていくのが視界の脇に映り、
彼らの演奏が終了したのを知った。
誤解のないように言っておきますが、僕はウルフルズ好きですよ。いまさら遅いけど。
そのときはそう思っていたということです。ただ単に。
しばらくしてFishmans
そのときの佐藤伸治の放ったMCがまだ耳の奥に残っている。

「さっきまでここにいた赤い女、何処行った! 赤い服着たデブ!」

一瞬24のフロアが引くが、すぐに笑いがそこかしこに起こりはじめた。
しょうがないなぁ、仕方ねぇな佐藤くん、という感じで。
そこからフロアはFishmansモード。
というよりは佐藤伸治モードというべきだろうか。
それを合図にFishmans目当ての客はそれぞれ思い思いの位置に陣取りはじめた。

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ここまでがふと思い出して語りたかったことの顛末。
99年3月15日に佐藤伸治が亡くなるまでFishmansは「いい音楽」を残してくれた。
「素晴らしい」とか「最高」なんて言ってしまうと嘘っぽくなる。
ただ生活の傍らにそっと寄り添っていてくれる「音楽」。
そんな表現が僕の感覚に寄り添っている言葉だと思う。
彼の命日である今日(3月15日)の空は春間近を思わせる青さだった。
葬式が執り行われた日の、あの震えるような冷たい冷たい涙雨とは比べものにならないくらいに、
同じ空は晴れていた。
それは彼が安らかに眠っているんだなと思わせる青さだった。
移動中の電車の窓から見て、そう思った。
そして目的地に着き空を見上げると、ひこうきが頭の上をゆっくりと飛んでいった。

悲しくて、せつないことだから、憶えているんだ。